センシティブな話題で恐縮だが、年末から年明けにかけて性被害のフラッシュバックがおきて苦しい日々が続いている。こんなことになるなら相手を思い切り跳ね返せばよかった、と思うものの、相手からの圧や関係性において、こちらが弱い立場だと言えないことは当然多くある。まだたった10代から短歌の世界で色々(いろいろ)な圧を当然のように感じていた自分にとって、「それは被害だ」と理解したことが何よりショックで、ずっと原因を自分の脇の甘さにしていた方が楽だったのではないか、と正しく認識したことすら後悔する有様(ありさま)だった。

 フラッシュバックは様々(さまざま)な気持ちが押し寄せてくる。ああすれば、こうすればよかった、とどうしようもない後悔の感情が湧き上がってくるし、加害者の不幸を願うことも当然ある。

 (撮影・三品鐘)

 幸いなことに理解ある友人が何人もいて、状況を話したら事情を無理に聞いてくることはせず、「とにかく心と体を休めてね」と温かい言葉をくれた。心身消耗しているときに、考えてしまうことが重荷になると初めて知った。まず消耗しながら考えてさらに消耗してしまう前に、暖かいお布団にくるまって、温かい食べ物で胃を満たす。紅茶を淹(い)れて、部屋を綺麗(きれい)に片付ける。好きな音楽に励まされて泣いて、事態を知っている友達とそれを共有しあった。ねえこれ心地よくない? 可愛(かわい)くない? 元気にならない? そんなほの明るい話題をやりとりしながら、一番柔らかい場所をお互い心の隙間から差し出し合う。加害者から受けた辛(つら)い話題をあえてさらけ出すことより、私をここまで大事にしてくれる人を大切にするためにも、何かほのかに温かいものを手渡したかった。

 場合によっては悲劇のヒロイン気分に浸る時期も必要だろう。でも、きっと辛い時ほど心のタフさを試されてもいるんだろうと思う。辛い時ほど、人に与えられるものを考えよう。とびきりお金を使わなくても、ジョークで笑わせることや、お役立ち話の共有や、互いにワクワクする趣味の新しい情報を見つけて報告することも、与えることの一つだ。心が痛みに固執して崩れ落ちてしまう前に、軽やかに人に何かを手渡せる心の温かさを保ちたい。辛い時に余裕は自然にできるものじゃない。自分から作り出すものなのだ。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。

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