厩務員らが企画し、競馬場存続を後押しした笠松戦隊「マックルⅤ」=笠松保育園

 競馬場存廃のサバイバルレースで生き残り「廃止に打ち勝って」と登場した笠松戦隊「マックルⅤ(ファイブ)」を知っていますか。あの頃、園児だった子は馬券も買える大人になって、新たな人馬のヒーローを追い掛けて笠松競馬場に足を運んでくれているのかも。

 笠松競馬場や笠松保育園にも参上したのは、存続を願う厩務員有志たちが結成した「正義の使者」ともいえる戦隊ヒーロー5人組。彼らが笠松デビューを果たすことになったのは大きな訳があった。ウマ娘シンデレラグレイのファンの皆さんにもぜひ知っていただきたいのは、笠松競馬に廃止寸前となる大ピンチがあったことだ。

 いろいろと不祥事も多かった笠松競馬場だが、今世紀に入って事実上「廃止」の2文字が切実となったのだ。現場の騎手や調教師は、競走馬との日々の戦いに追われ、表立った動きはなし。そんな中、立ち上がったのは、笠松競馬そしてオグリキャップを愛する全国のファンたちであり、調教師の奥さんたちだった。暗くて長いトンネルの先にかすかな光を求めて、熱く燃え上がった存続運動。当時、地元記者として存廃の行方を追って取材を進め、連載記事も書いた一人として激動の1年を改めて検証してみた。

 ■「競馬事業を速やかに廃止すべき」、現場に激震走った

 5年前の騎手、調教師による馬券不正購入事件では暗躍したグループが笠松競馬を去った。経営面ではV字回復を果たしており、競馬場自体の存廃問題には発展しなかった。しかし、2004~05年は「廃止濃厚」となり笠松競馬の歴史を語る上で、最も苦しかった時代だった。存廃を巡るニュースが連日、新聞紙上で報じられた。

「笠松競馬廃止を提言」。現場やファンに激震が走った(2004年9月14日付・岐阜新聞1面)

 21年前(2004年9月13日)、笠松競馬の厩舎関係者やファンに激震が走った。「笠松競馬廃止を提言、自立経営は困難 検討委中間報告」と岐阜新聞は翌日の朝刊1面トップで報じた。「経営は既に構造的に破綻しており、競馬事業を速やかに廃止すべき」という厳しい内容。「笠松競馬経営問題検討委員会」(県の第三者機関)がまとめた中間報告だった。

 まだ赤字でもないのに「廃止ありき」の提言で、現場のホースマンたちは震え上がり、怒りを募らせた。「オグリキャップが育った聖地の灯を消すな」と全国のファンたち。北海道の馬産地は「地方競馬の雄である笠松がつぶれたら、さらに全国で廃止が相次ぎ、競走馬の生産・供給ができなくなる」と危機感を募らせた。

「えっ」「なぜ」突然の廃止案に存続を願う声次々と(2004年9月14日付・岐阜新聞社会面)

 全国で地方競馬がバタバタと廃止に追い込まれていた世紀末から21世紀初頭。笠松競馬も90%以上「廃止」へと傾いていたが、生活を奪われる厩舎関係者を中心に、全国の笠松ファンらが粘り強く存続を訴えた。「小泉構造改革」の時代で、競馬事業の公益法人化や民営化、馬券のネット販売など規制改革の波も押し寄せ、笠松存続への活路を見いだそうとした。

 ■「1年間の試験的存続」の延命措置、赤字なら即廃止

 05年2月、赤字分に税金を投入しないことを条件に「1年間の試験的存続」を勝ち取った。現場が総額約7億円(年間)の経費削減策を受け入れて「延命措置」となった。1年後の生き残りには非常に厳しい「単年度赤字=即廃止」という条件で、綱渡りの経営を強いられた。

 プロ野球選手が結ぶ1年契約と同じで、シーズン中の成績が不振(赤字)なら「ハイッ、さようなら」となる過酷な条件。現場の関係者は赤字体質脱却に必死で挑んだ。

 「私たちは馬しか知らない。調教師や騎手が免許を取り上げられたら、何ができるのか」と悲痛な声を上げていたのは、調教師の家族らでつくる「愛馬会」代表の後藤美千代さん。厩舎関係者らは、寝食を共にする競走馬たちに愛情を注いで生計を立てる道に生きがいを感じていた。賞金・手当は大幅カットされたが、覚悟を決めてやるしかなかった。

 ■笠松競馬の廃止も視野に、県の対策室立ち上げ

 2004年度は笠松競馬にとって大きなターニングポイントになった年だった。 当時は岐阜新聞名古屋支社に勤務していた。初夏の頃、整理部時代に教えた後輩の男女2人が晴れて結婚式を迎えた。披露宴で同僚と雑談。「笠松競馬の廃止も視野に入れて、県の対策室が立ち上げられた。笠松駅で下車して、笠松競馬場の現状を取材してみて」と提案があった。その後、9月に「速やかに廃止すべき」の中間報告があり、現場は凍り付いた。

 この年は「ドラゴンズ落合元年」でセ・リーグを制覇。10月の日本シリーズまではナゴヤドームでの取材に追われていた。荒木、井端、立浪の1~3番トリオ、セMVPの川上らの竜戦士が大活躍した年で、ネット裏の記者席で「泣き笑い」のハイライト記事を書いていた。

愛馬会立ち上がり、存続を願い横断幕制作(2004年9月24日付・岐阜新聞県内版)

 ■愛馬会など「存続」呼び掛ける懸命の署名運動

 梶原拓知事は9月末「ほとんど手を尽くしてきたが、いかんともしがたい状況。前途に光明を見つけることは困難で事態は深刻」と存続に厳しい見方を示した。11月末に検討委の最終報告が出ることから、笠松競馬の存廃を巡る報道も活発化した。

 「オグリキャップの聖地で、全国的な知名度も高い笠松競馬場をつぶすなんて、ありえない。自分にも何かできることがあるはず」と11月上旬、向かった笠松競馬場では「存続」を呼び掛ける署名運動が行われていた。正門前では、愛馬会の後藤さんや「笠松競馬を守る会」代表の今井登喜江さんらが先頭に立って、来場者に協力をお願いしていた。全国のファン有志による「笠松競馬を未来につなげる集い」参加を呼び掛けるビラも配布。既に笠松競馬存続を願うファンら8万人ほどの署名が集まっていた。愛馬会は騎手の勝負服をモチーフにして、存続を応援する横断幕も制作していた。

愛馬会の活動を紹介した10月10日発行の「うまなり」臨時号1面

 後藤さんから関係者の連絡先を聞き出し、取材を進めることにした。来場者は年金暮らしの高齢者が多く、健康ウオークを兼ねて通い「自分たちにとって宅老所のような居場所がなくなる。たった一つの楽しみを奪わないでくれ」などと悲痛な声を上げていた。

 ■笠松けいばサポーターズ倶楽部、存続を願うファンの大合唱

 地元ファン有志による「笠松けいばサポーターズ倶楽部」も精力的に活動。大好きな笠松競馬場の魅力をより多くの人に知ってもらい、楽しんでもらおうと、8月にフリーペーパー「うまなり」を創刊。存続を願うファンたちの声を集め、10月には「かさまつけいば大好き宣言!」と題した大合唱にまとめて掲載し、来場者に配布していた。

 「名馬が多く育った伝統ある競馬場なので、廃止はしないでほしい」(30代男性)「安い賞金でも命を懸けている騎手のことも考えて」(20代女性)「もっと良くする方法はいくらでもあるはず。廃止という議論は早すぎる」(40代男性)など。20~70代のファンたちの悲痛な叫びがぎっしり満載。笠松競馬を、ジョッキーたちの生活を支えているのは馬券を買うファンたちであり、応援するすごい熱量に驚かされた。

「うまなり」臨時号2面。存続を願うファンの声を掲載した「かさまつけいば大好き宣言!」

 愛馬会の後藤さんは現在、名鉄笠松駅にある「ふらっと笠松」のスタッフも務められ、笠松町や笠松競馬の魅力を発信。「笠松競馬の歴史を知りたい」というウマ娘ファンの要望に応え、サポーターズ倶楽部が発行した「うまなり」に掲載された「かさまつけいば大好き宣言!」を再配布。聖地巡礼で笠松を訪れる若者らにも笠松競馬存続の歴史と魅力をアピールしている。

 ■大黒社の屋根に「◎笠松競馬は永久に不滅です」

 「笠松けいばサポーターズ倶楽部」には、存続を願うファンの気持ちを伝えるレット編集長をはじめ、競馬バー「うまなり」(名古屋)経営者や、場立ち予想屋として今も人気を集める「大黒社」の一岡浩司さんらも参加していた。大黒社の屋根には「◎笠松競馬は永久に不滅です」と書かれており、「笠松競馬存続」を願って単勝1点で力強く本命予想。「わが巨人軍は永久に不滅です」と引退式で語った長嶋茂雄さんの熱烈なファンの一人としても感激。「笠松競馬永続のため、何とかしたい」という熱い思いが全身にみなぎった。

 すぐに県地方競馬組合事務所に向かい、笠松競馬の現状を聞いた。経費を切り詰めての売り上げ振興やファンサービスに努力しているが、馬券販売額は1997年度以降、7年連続で減少を続けており、厳しい経営状況を改めて知った。それでも累積赤字はまだなかった。

 ■名古屋競馬は巨額赤字でも廃止論に至らず

 当時、愛知県競馬組合では「名古屋競馬のあり方懇談会」を開いており、傍聴したことがあった。既に約40憶円の累積赤字を抱えていたが「名古屋競馬は廃止になっても用地を売却して清算すればチャラになり何とかなる。巨額赤字でも存続させている」とも聞いた。廃止論には至らない「あり方懇談会」という生ぬるいタイトルがそれを象徴していた。

 一方、まだ赤字を抱えていない笠松競馬は「経営問題検討委員会」という切実なタイトルでかなりの温度差があった。笠松の場合は敷地の大半が借地であり、地権者には毎年多額の借地料(年間総額2億円前後)を支払っていた。県としてもそれが滞らせることはできないし、減額のお願いも限度があり、大きな足かせにもなっていた。

梶原拓知事と面談した堀江貴文ライブドア社長。笠松競馬存続に向け、支援の意向を示した(2004年11月17日付・岐阜新聞社会面)

 ■ライブドア出馬、存続を支援へ

 「笠松競馬廃止を提言」と岐阜新聞が報じたのは2004年9月14日付朝刊。また同じ14日深夜には梶原拓知事が「5選不出馬」と引退を表明した。2日続きのビッグニュースとなったが、知事としては「負の遺産」になりそうな競馬事業を、次に県政を担う新知事に引き継がせたくなかったことだろう。97年度以降は毎年赤字で、取り崩していた基金も底をつき1、2年後には完全赤字化が明白だったからだ。

 ただバブル経済崩壊後も「お役所競馬」による放漫経営が続いたことが、赤字化の大きな要因でもあった。民営化されれば、それなりにやっていけそうで、馬券のネット販売では、インターネット関連会社のライブドアが積極姿勢。愛馬会の「競馬場を買ってください」といった声に応える形で競馬事業参入に意欲を示した。

 堀江貴文ライブドア社長は11月16日、都内で梶原知事と面談し、経営再建で存続支援の意向を示した。馬券のネット販売で業務を受託する枠組みを作るため協議を続行。堀江社長は「笠松競馬は名馬や名ジョッキーを送り出しレベルは高い。方法次第で競争力の高い競馬場にできる」と参入、笠松競馬再建に意欲を示した。それにしても出迎えた愛馬会や騎手、笠松ファンらの「堀江コール」は熱かった。愛馬ホリエモンが中央では勝てずに終わったら笠松でも走ってほしかったが、その後、高知に移籍し14勝を挙げる活躍を見せた。

NARグランプリ2000の「3歳優秀馬」で05年のオグリキャップ記念を制覇したミツアキサイレンス(右)。経営難の笠松競馬をけん引する活躍を見せた

 ■調教師や騎手らも夢舞台が続くことを切望

 県調騎会では山下清春会長が「ライブドア参入では、話し合い継続ということで明かりが見えてきた」と胸をなで下ろす一方「思い切った改善策もないまま基金を取り崩して(さあ廃止では)道義的におかしい」とも。東川公則騎手会長も「競走馬の賞金カットなどでぎりぎりの生活に耐えてきた。賞金額は既に最低レベル。家族もいて、これ以上は無理」と憤った。ミツアキタービンとのコンビで笠松・夢舞台が続くことを切望した。

 全国のオグリキャップファンも立ち上がっていた。ネット上では「笠松競馬を未来につなごう」のサイトもあり、存続への署名を呼び掛けていた。サイト管理人の大西貴子さん(東京都)に笠松競馬の現場の状況を伝え、情報を交換した。仕事柄、賛成、反対の動きもある程度分かり、1日1日、情勢が変化していたが、どうやら「公益法人化」でいい方向に行きそうだと感じた。年内に決着し、笠松関係者の笑顔を楽しみにもしていた。

 愛馬会の後藤さんとも連絡を取り「署名活動を名古屋でもやってはどうか」と呼び掛け。11月13、14日の2日間、中央競馬開催日で人通りの多い金山総合駅で実施した。競馬ファンら大勢の市民が足を止めて、存続の呼び掛けに協力していただけた。

 残された時間はあと半月余り。自分としては初めて存続活動に協力でき、社会面に記事を出稿したので紹介したい。

「笠松競馬存続、協力を」と笠松競馬を守る会、愛馬会メンバーが金山総合駅で行った署名活動(2004年11月14日付・岐阜新聞社会面) 

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 ■「笠松競馬存続、協力を 愛馬会のメンバーら名古屋で署名活動」

 (11月14日付・岐阜新聞)

 存廃が検討されている羽島郡笠松町の笠松競馬の存続を願って、同競馬を守る会などが13日、名古屋市の金山総合駅南口で署名活動を行った。同駅はこの日開催日だった中央競馬のウインズ(場外馬券発売所)にも近く、地方・中央のファンを問わず全国から多くの署名が集まった。

 署名活動に参加したのは、存続を願う有志でつくる「守る会」と調教師や厩務員の家族でつくる笠松愛馬会メンバーの計5人。10月25日には署名の中間集計分として7万3347人の名簿を梶原拓知事に提出。その後、笠松競馬場での活動のほか、名古屋地区でも存続の協力を求めようと実施した。

 同駅前では愛知、岐阜をはじめ、遠くは千葉、岡山、山口などの各県からのファンが「笠松はほっとできる場所で、なくなると寂しくなる。ライブドア(IT関連企業)などの民間参入を期待している」などと声を掛けながら署名した。

 「守る会」は、23日午後5時30分から同町の笠松中央公民館で開く「笠松競馬を未来につなげる集い」への参加を呼び掛けるチラシを配布。「金山総合駅では若い人の署名が多い。『存続して、いい馬を育てて』といった励ましの声をもらった」と話し、一人でも多くの署名を集めようと声をからしていた。署名活動は14日も同駅で行われる。

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 笠松競馬経営問題検討委が存廃の最終報告を出す11月30日が迫っていた。23日にはアンカツさんや武豊騎手が参戦した全日本サラブレッドカップが行われ、場外では「笠松競馬を未来につなげる集い」も開かれた。「名馬、名手の里・笠松競馬場」の存在意義が問われ、存続運動は全国のファンらのサポートを受けて正念場を迎えた。


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 (筆者・ハヤヒデ)電子メール ogurinosato38hayahide@gmail.com までお願いします。
 
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