朝起きたらまずは一杯の水。それからブランチに豆乳ラテにトマトジュース、パン、バナナ、野菜スープ。お腹(なか)が空(す)いたらおやつはナッツか茹(ゆ)で卵。夜はキムチと卵をのせた納豆ご飯と野菜スープの残り。これが私の今のルーティーンの食事だ。いまだに、こんな食生活をしていることが自分で信じられない。

 「食べる」。これは私が長年抱えてきた課題だ。14歳の頃に拒食症になり、20代半ばまでは拒食を拗(こじ)らせて常に痩せ気味だった。「拒食症ならしょうがない。せめて食べられるものを食べられるときに」。そんなギリギリのライフハックで偏った食生活を続けてきたつけは、ついに回ってきた。そう、標準体重をオーバーし、体力まで落ちはじめたのである。

 そうして、これはいけないと始めたのが、はじめに記したような食生活だ。30代後半にもなると、健康の価値が痛いほどわかってくる。拒食症のせいで、骨粗鬆(しょう)症の心配もあるし、偏った食生活で一時期わずかにだが高血圧にもなり、怯(おび)えに怯えた。

撮影・三品鐘

 そうして、これではいかんと食生活を変えてみると、みるみる心は落ち着いた。自分に必要な栄養を自分で補うこと。自分の将来に向けて食べるものを選ぶこと。それが、不思議と心のケアにもなっていったのだ。

 「10代の頃はとんがっていた」とはよく聞く言葉だ。それは、自分を持て余すのと同時に、自分のあやしかたがわからなかったからではないだろうか。そして私の場合、自分のことでいっぱいいっぱいで他者への気遣いができなかった。それが今、当時付き合いのあった人と再会して「無理しないようにね」「体気をつけてね」と言いたくなる自分がいる。これは、自分に余裕が出てきたと共(とも)に、互いの弱さや脆(もろ)さに気がついてきたからだと思う。

 よく「年齢と共に丸くなる」という。それは互いの弱さや不完全さに気づくからこそ、その未熟さを認めて、うまくやっていこうと思う気持ちからかもしれない。

 食事、運動と努力はするけれど、これから体も心も10代のようにぐんとフレッシュになることはない。だからこそ、自分や周りの弱さや醜さも受け止められるのかもしれない。そんな心持ちで、むにっとはみ出たお腹を鏡で見ながら、この体がこれから得ていく、新しく柔らかな感情のことを考えるのだ。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。

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