高山の古い町並みにある高山陣屋は、多くの観光客で賑(にぎ)わう。江戸時代の代官が執務した御役所(おんやくしょ)、家族や使用人が生活した役宅、年貢米を収める御蔵(おんくら)からなり、最も古い建物は創建から400年を数える。最大の見どころの一つが屋根で、何と約50万枚もの木の板で葺(ふ)かれている。しかも製材機で加工したものでなく、一枚ずつサワラやネズコの丸太を手で割ったものが用いられる。これを「榑板(くれいた)」といい、薄く割ることを「剝(へ)ぐ」という。へいだ板は木の繊維が端から端まで通り、水が染み込みにくく長持ちするのだ。御役所と役宅の榑板は釘で丁寧に屋根に打ち付けられて約20年、御蔵の榑板は重石を載せて簡素に留め、上下・表裏を5年ごとに返してこれも約20年使われる。似たような板葺きの屋根は全国にあるが、雪国・高山の榑板はやや厚く独特であり、使われる道具もこの地だけに見られる形状だ。国の史跡に指定されたためこれからも同じ技法で作り続けなければならない。まさに受け継がれてきた飛騨の匠(たくみ)の技といえる。
しかし、榑へぎの技術継承はぎりぎりの所で行われた。高山陣屋の主任営繕手、松山義治さん(54)は、東京都出身。縁あって陣屋に勤め始めた頃、高齢の葺師(ふきし)たちが榑板をへぐのを見ていたが、既に若い世代の職人がいなかった。最も腕の優れた葺師に学びに来いと誘われ、通って技術を受け継いだ。今度は自身が唯一の継承者となったため、飛騨の榑葺きという伝統技術を地元の若い技術者に伝えなければと考えた。
声をかけられたのが高山市出身で宮大工として修業を積んだ川上舟晴(しゅうせい)さん(39)。仲間たちと榑へぎの勉強会を作り、休日を費やして松山さんから技術を学び、練習に励んだ。苦労の甲斐(かい)あって、その後数人の大工が榑板を作れるようになり、葺き替え工事も担えるように。「川上さんたちの努力は目立たないが、もっと多くの人に知ってほしいこと」と松山さんは言う。
この秋、岐阜県で国民文化祭が行われる。私たち一般社団法人「技(ぎ)の環(わ)」では、松山さんや川上さんに協力を仰ぎ、榑へぎ体験のイベントを企画した。本物の材料と道具で板をへいでもらい、参加者の名前を書いて陣屋に納め、次の工事の際に使ってもらう。イベントに使う道具は岐阜県内の鍛冶職人に特注した。会場は、現代の飛騨の匠が集う「飛騨の家具フェスティバル」を使わせていただくことにした。榑へぎに代表される伝統技術と現代の家具製作技術はつながっているとの思いからだ。このイベントが、榑へぎの文化を高山市民、岐阜県民みんなで受け継いでいくきっかけになればと願っている。
(久津輪雅 技の環代表理事、森林文化アカデミー教授)
【榑へぎ体験イベント】
10月19、20日、飛騨・世界生活文化センターにて。小学3年生~専門学校生・大学生が対象。事前予約制。詳細は飛騨の家具フェスティバルまたは技の環のウェブサイトにて。11月3日には関市のせきてらすでも同じ榑へぎ体験イベントが行われる。