1人の鍛冶職人が彫刻ノミの技術継承に挑んでいる。兵庫県三木市に工房を構える森田直樹さん(47)。鉋(かんな)の名門・千代鶴貞秀の三代目を襲名した実力者だ。作っているのは「小信(このぶ)型」と呼ばれる独特の形状の彫刻ノミ。小信は東京の彫刻ノミの名門である。鉋を専門にする森田さんがノミに挑むのは、2023年に小信が長年の歴史に幕を閉じ、廃業してしまったためだ。小信の最後の職人、齊藤和芳さん(78)が作る彫刻ノミは、文化財の修理技術者や彫刻家などから絶大な信頼を得てきた。それだけに齊藤さんが体力面から引退を表明すると、業界に大きな衝撃が広がったのだ。
小信と千代鶴が交わるきっかけになったのは、私たちが実施してきた全国鍛冶職人調査だ。鍛冶職人の減少や技術の消失にかねてから危機感を抱いていた森田さんに22年から調査員として加わってもらい、一緒に各地の職人を訪ねて歩いた。既に廃業を決めていた齊藤さんに聞き取りをした際、森田さんがその場で1週間の弟子入りを志願したのだった。
小信での研修は1週間が1カ月にも感じられるほど密度の濃いものだったという。それ以来、森田さんは仕事の合間に彫刻ノミを練習し続けている。平らな鉋と丸い彫刻ノミでは必要な設備が異なるため、一部は小信から譲り受け、足りないものは多額のローンを組んで調達した。試作品ができると年に数回上京して齊藤さんに意見を聞く。齊藤さんは「優れた道具には心がこもっている。そのことも含めて小信の仕事をつなげて行ってもらえれば」と期待を語る。
もう1人、小信から千代鶴への技術継承を道具の使い手の立場から支える人がいる。国宝の仏像などの修理に携わる公益財団法人美術院の技術者、門脇豊さん(57)。小信ノミの愛用者だ。文化財に向き合うには、その文化財が作られた当時に劣らない技術と道具が必要だと門脇さんは言う。それだけに小信の廃業を大いに嘆いたが、森田さんの技術継承の決意を知って一筋の希望を感じ、見本用に自分の小信ノミを貸し出したり私費で新しいノミを注文したりして森田さんを支える。
今月、柄を仕込んだ最初のノミが完成した。「初心に返り、襟を正して向き合う気持ちにさせる素晴らしい道具です」と注文したノミを手にした門脇さん。ノミには小さく「千」の一文字が刻まれたが、正式な銘はまだ未定だ。「まずはどれだけ技術を高められるか。その上で齊藤さんとも相談したい」と森田さん。長い道のりは始まったばかりだ。
ちなみに森田さんは旧武儀町(現・関市)出身である。最高峰の技術継承を岐阜県出身者が担い、そのきっかけを私たち岐阜県の団体が作れたことに不思議な縁を感じ、密(ひそ)かに誇らしくも思っている。
(久津輪雅 技の環代表理事、森林文化アカデミー教授)
【森田直樹さんの取り組み】 森田さんの取り組みは、「彫刻刃物の技術継承を考える車座集会 報告書」で詳しく読むことができる。上記の報告書名で検索してPDFをダウンロード可能。













