飛騨の名から命名された飛騨山脈。名だたる高峰が連なる=高山市方面から望む
飛騨山脈の山岳観光と登山の拠点の新穂高。高峰が迫る=高山市奥飛騨温泉郷神坂

 高山盆地や古川国府盆地といった岐阜県飛騨の各地から仰ぎ見る、高峰が連なる山脈はりりしく美しい。夕焼けに映える乗鞍岳の姿は心に残る絶景だ。山国の飛騨を象徴する景色の一つだろう。

 飛騨特有の姿を見せる、この長大な山脈は飛騨山脈と呼ばれる。国がまとめた地名集や国土地理院の地図に飛騨山脈と明記され、文部科学省検定済教科書高等地図帳にも記されている。北から新潟、富山、長野、岐阜の4県にまたがり、飛騨は山脈の南部となるが、飛騨の名から飛騨山脈という名称が使われている。

 国土地理院によると、前身の地理調査所の時代から飛騨山脈の名称はあり、国の関係機関と研究者などで地名の検討をした上、飛騨山脈を統一した名称として地図に表記することが決められたという。

 飛騨山脈は本州中央部に南北に並ぶ山岳地帯の北部にあり、飛騨から長野県、富山県、新潟県の境に沿って日本海沿岸の親不知付近に至る。山岳は最高峰となる標高3190メートルの奥穂高岳をはじめ、槍ケ岳、笠ケ岳、双六岳、北ノ俣岳、三俣蓮華岳、薬師岳、立山、剣岳、朝日岳などがある。

 名山がそろう中で前穂高岳や奥穂高岳は長野県側から見た名称とされ、立山は県境沿いではなく富山県内の高峰であり、黒部川を挟んで東側の長野県境にある山並みは後立山連峰と呼ばれる。ここでは富山県側から見た名称が付いており、飛騨は譲った形に見える。しかし、全体では飛騨山脈が統一した表記とされ、名称が示すように、山脈の要は飛騨に含まれる。

 郷土史家の岡村利平が1911(明治44)年に著した「飛騨山川」によると、飛騨山脈という名称は明治時代の中頃に地質学者の原田豊吉が初めて使ったとされる。その理由を以前に岐阜県博物館長や斐太高校長などを務め、構造地質学を専門とする下畑五夫さん(74)=高山市国府町=は「飛騨側の高山盆地からよく見渡せるために飛騨山脈と命名された」と話す。

 山脈の名称は、山がよく見える人たちが暮らす地域の名を付けることを基本的な考え方にするという。飛騨山脈の長野県側は山脈とほぼ並んでフォッサマグナの西端にある糸魚川・静岡構造線によって低地帯となり、山脈は見えにくい。こうした地質の相違もある。

 飛騨山脈は北アルプスともいわれる。本州中央部の山岳地帯をアルプスと呼んだのは、日本を訪れていた英国の冶金(やきん)技師のガウランドだ。明治時代に初めてアルプスと示し、同じ英国人の登山家のウェストンや初代日本山岳会長の小島烏水らが紹介した。日本の登山家にヨーロッパのアルプスへの憧憬があったこともあり、広まっていったようだ。

 飛騨から山脈を眺めると、名だたる高峰が並んでいる。穂高岳山荘の2代目主人の今田英雄さん(79)=飛騨市神岡町=は以前、本紙に「名山、この飛騨に集まる。わが郷土の誇り、これ以上のものは無し」と記した。飛騨の地で、この一文をなぞっている。