アルゼンチンの岐阜県人会の歴史、その活動を紹介します。
大阪万博以降、各県知事の外遊、海外視察が始まり、アルゼンチン日本大使館から、多くの知事の来亜に対応すべく県人会の創立依頼があり、1973年6月、ブエノスアイレス市、並びに周辺に住む移住者を中心とする岐阜県出身者が集まり県人会が設立されました。
平野三郎岐阜県知事を第1回の来亜者として、歓迎会が開催されました。続いて歴代の上松陽助知事、梶原拓知事、古田肇知事のアルゼンチン訪問、視察が5カ年ごとに行われてきました。83年の上松知事の来亜の折、岐阜新聞の前身の岐阜日日新聞社の南米調査隊によって、ブエノスアイレスの岐阜県人会の調査訪問が行われました。
岐阜県の海外移住者家族会(現在解散)との結び付きで、県人会会員の子息の留学、研修生の送り出しを通して、県とアルゼンチンの結び付きを強めてきました。
1998年の梶原知事の来亜に際しては、知事が「将来起こりうる世界の食糧危機」への備えを提言。県、岐阜県の青年企業家を中心とするアルゼンチンでの農業計画(企業名・ギアリンクス)が数年後設立されました。
15年間にわたり農場取得、有機栽培、大豆栽培が行われ、現在は中津川市に本社があるサラダコスモに引き継がれ、サンルイス州で大農場が運営されています。在亜岐阜県人会も多少の協力ができたかと思います。
現在、在亜岐阜県人会の会員数は120人近くで、移住者の子息を中心に、会費は徴収せず、寄付により運営されており、2023年には、50周年を迎えようとしています。1世の高齢化、減少により2、3世が会の運営を担い、文化活動や親睦会を開催しています。
◆在亜県人会 長屋マルティーンさん略歴
ながや・まるてぃーん 岐阜市出身、1950年生まれ。岐山高校、愛知県の大学卒業後、1976年アルゼンチンに“呼び寄せ移住”としてJICAを通じて移住。自営業者として50年近く生活し、現在年金生活者。在亜岐阜県人会事務局長。
▼メッセージ
来年、在亜岐阜県人会は創立50周年を迎えます。2世、3世にどう岐阜愛を伝えるか、課題です。