岐阜保護観察所が入る庁舎。所長もまた通報権を持ち、措置診察につながらない疑問を感じてきた=岐阜市美江寺町

 2019年11月26日、県庁の一室。県の健康福祉部門幹部と担当職員、そして岐阜保護観察所長(当時)の長尾和哉氏が顔を合わせていた。長尾氏が手にしていたのは、A4判5ページの文書。表題に「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律に基づく通報に関する要望について(申し入れ)」とあった。保護観察所は法務省の管轄で、いわば公務員同士。県に対して公式に「申し入れ」をするのは異例といえる。自民県議1人が同席する中、室内に重苦しい空気が漂った。

 文書で示したのは、警察官通報が明確な理由なく県保健所に断られ、措置診察につながらないといった実情だった。「事前の調整なしに、いきなりこんな文書を持ってきてもらっても困る」と県幹部。「意見を伝えたくても係長止まりで、つないでもらえない」と長尾氏。互いの語気が次第に鋭くなるのを県議が仲裁する中で、長尾氏は「やり方を間違えば、仕事の押し付け合いになってしまう。そうならないよう、連携したい」と提案。県は検証を約束した。

◆再犯防止の道

 精神保健福祉法で保護観察所は、警察官や検察官と並んで所長が通報権を持つ(25条通報)。保護観察中で精神疾患の疑いがある人などがその対象だが、20年度は全国で計15件と適用は少ない。それでも、所長自ら改善を求めて動いたのは「再犯防止のために必要不可欠」と考えたためだ。

 岐阜地域の4警察署や市保健所、保護司会などの関係機関は、再犯防止推進法の施行を受け19年11月、代表者会議を組織。「警察官通報問題」は最優先事項に浮上していった。措置診察が受けられないまま当事者が地域へ戻り「迷惑行為」を繰り返すなど、通報を巡る事案が複数起きていた。

◆入り口閉ざす

 県への文書には具体的な事例が記されている。「市役所で職員に体当たりし公務執行妨害容疑などで現行犯逮捕された『A』は、勾留中も精神錯乱の状態が続き、検察官通報されたが診察不要に。釈放後も迷惑行為を繰り返し警察官通報されたが、県は診察不要と判断。家族同意が得られずに医療保護入院もできず、迷惑行為を繰り返している」

 列挙した事例は五つ。加えて、診察不要とする判断基準の不明確さなどを問題提起した。添付した厚生労働省の公表資料は、14年度の県内の警察官通報が他の都道府県と比べ、診察不要となる例が極端に多いことが一目で分かるものだった。

 県への申し入れの後、岐阜保護観察所には関係機関から「措置診察につながるようになった」との報告が相次いだ。確かに、20年度の措置診察は19年度比6件増の22件、措置診察率は4・7ポイント上昇し11・0%となった。だが「次第に元通りの対応に戻ってしまった」と長尾氏。21年11月に開かれた代表者会議では、警察官通報問題が再び協議事項に上っている。県の担当課は取材に「申し入れを受けて対応を変えた事実はない」と否定した。

 今年4月に岐阜保護観察所長に就任した石田清文氏は、言葉を失った。この秋、県保健所から郵送で診察不要通知を受け取ったためだ。通知は、診察不要の旨や対象者の氏名、生年月日が記されるほかは、特に記載のないA4判1枚の文書だった。「それぞれの通報には、ちゃんとした理由がある」と石田氏。「立ち直りへの一歩を診察という入り口で閉ざす理由を示してほしい。措置入院を増やしてほしいと言っているのでは決してない」と訴える。

 【再犯防止推進法】 犯罪や非行の繰り返しを防ぐため、国と地方自治体の責務を明記した法律で、2016年12月に施行された。就労先や住まいの確保を支援し、刑務所や少年院を出た人が社会で孤立しないことを目指す。地方自治体には、国が5年ごとに見直しを図る計画に沿い「地方再犯防止推進計画」を定める努力義務がある。