高校野球のマネジャーと言われて、どんな姿や仕事を想像するだろう。選手のユニホームを洗濯したり、食事を用意したりする姿が思い浮かぶのではないだろうか。だが、日本一を目指す強豪校・県立岐阜商業高校(岐阜市則武新屋敷)のマネジャーはひと味違う。女子マネジャーもいる中、チーフマネジャーは助監督と位置づけられており、選手らに指示を飛ばし、練習メニューを考え、チームを支える。来年創部100周年。その100周年の夏を担う同校のマネジャーを追った。

日々の練習で行われる紅白戦のスコアをとる佐藤壱星さん(左)。選手の様子に目を光らせる=岐阜市則武新屋敷、県岐阜商業高校

◆◇「明日からは選手を支えるんだ」抜てき◇◆
 今年の全国高校野球選手権大会岐阜大会で、3連覇を目指した県岐阜商は準決勝で姿を消した。引退した3年生の思いは、創部100年の世代に当たる、2年生に託されることになった。そんな強豪校のマネジャーに抜てきされたのは2年生の佐藤壱星さん(17)だった。しかも抜てきされたのは前チームの夏の県大会の直前だった。

 「現役の夢は今日で諦めろ! 明日からはマネジャーとして選手を支えるんだ」。6月19日。同校の野球部鍛治舎巧監督(72)からLINEでそう告げられた。それまではキャッチャーとして他の選手と同様、練習に打ち込んでいた。翌日からは選手としてではなく、マネジャーとして練習に参加することが決まった。

 マネジャーとなった翌日の取材に、「正直、悔しい気持ちもあるけれど、そうも思っていられない。覚えることが山積みですから」と佐藤さんは笑顔で話した。仕方なく受け入れているようには見えなかった。佐藤さんは今年の県大会の結果ももちろん大切だが、自分たちの代で結果を残せるように今から準備をしなくてはと、すでに自分の気持ちを整理し前を向いていた。

 佐藤さんは小学4年生の時、甲子園で熊本県の秀岳館高校の活躍を見たことが、今も忘れられない。3季連続ベスト4と躍進し、継投策やノーステップ打法など高校野球に革命を起こした同校を率いていたのが、鍛治舎監督だった。「秀岳館の野球を見て、野球が大好きになった。打って打って打ちまくる。かっこよくて、自分もそうなりたいと思った」と話す。

 佐藤さんは岐阜県高山市出身。中学時代は、現・中日ドラゴンズの根尾昂選手を生んだ飛騨高山ボーイズでキャプテンを務めた。高校は鍛治舎監督の下で野球をするため、県岐阜商を目指した。今、親元を離れて暮らしている。佐藤さんは「鍛治舎監督がいて、このチームだったから、自分は腐らなかったんだと思う。正直自分の実力では難しいとわかっていたし、家族も応援してくれた。とにかく今は仕事を覚えること。頑張ります」と話した。

「もっと全力で走れ!」マネジャーとしてチームを鼓舞する佐藤さん。「練習の雰囲気を大切にしています」=岐阜市則武新屋敷、県岐阜商業高校

◆◇監督と選手つなぐ、欠かせぬ「助監督」◇◆  
 県岐阜商のマネジャーの仕事は多岐にわたる。日々の練習メニューを考えるのは選手でも監督でもなく、マネジャーの仕事だ。練習メニューを決めたら監督に報告。アドバイスをもらい、決定したら選手らに報告する。選手たちの体の状態を観察し、本人にも聞き取りをするなど、体調管理も欠かさない。それをベースに練習メニューを考えている。

 他にも、練習試合や紅白戦のスコアから、選手一人一人の打率なども記録している。体が資本の高校野球では、しっかり食べて体重を増やし、丈夫な体を作ることも大切だ。毎日選手の体重を量り、記録し増減を計算するのもマネジャーの仕事だ。練習後は道具がきちんと片付いているか、ゴミが落ちていないかを確認し帰るのは一番最後になる。

 佐藤さんは帰宅後、マネジャーとしての作業を終え、寝るのは毎日午前1時くらいになる。練習が滞りなく進むか不安で授業に身が入らなかったこともあった。

 マネジャーになって1週間。佐藤さんが主体となり練習メニューを決めるようになり、指示も出せるようになった。しかし、練習をサポートしてくれる選手らに練習内容が行き渡っていなかったため、指示が通らず、練習が滞ったことがあったという。佐藤さんは「貴重な練習時間を無駄にしてしまって…。力不足を痛感した」と肩を落とす。その夜、佐藤さんはマネジャーの仕事についてアドバイスをもらうため、昨年までマネジャーだった卒業生の田原一朗さんに電話をかけた。具体的なアドバイスも受けたが、一番心に残った言葉があった。「この仕事は100頑張っても、1も伝わらない仕事かもしれない。でも、マネジャーはチームにとっては、なくてはならない存在なんだよ」。その言葉で佐藤さんは自分を奮い立たせた。

 鍛治舎監督はマネジャーたちを「助監督」と位置づけている。「コーチ以上に監督と心を合わせて、チームを作っていく存在」。監督だけでなく、マネジャーの存在は選手の支えになっている。3年生で前主将の小林凜人さん(18)は「練習中も前向きな言葉をかけてくれる。メニューを考えてくれるマネジャーがいないと練習ができない。監督と選手をつなぐ、なくてはならない存在」と語った。

佐藤さんの練習着の背中には、チームの熱い思いが込められていた=岐阜市則武新屋敷、県岐阜商業高校

◆◇「100周年の代」目指すは甲子園優勝◇◆
 佐藤さんがマネジャーになった翌日から、気持ちを整理し前を向いていたのは、「自分たちの代が100周年の代」と言うことを入学前から意識していたからだった。

 新チームは準決勝で敗退した日に発足。100周年に向けて、2年生の中で自然と出てきた思いがあった。「100周年の自分たちは負けられない。県岐阜商の名にかけて何が何でも甲子園で優勝する」。佐藤さんは「そのためには先輩方のいいところはきちんと吸収し、引き継いでいく。野球以外の整理整頓や、道具の手入れ、礼儀なども見直してやっていこうと話をした」という。

 最近では監督の横でスコアをつけながら耳をそばだてる。監督の小さな一言を忘れずメモし、練習メニューなどに組み込んでいる。練習の雰囲気を大切にし、全員で声を出すことも心がけるようになった。まだまだ始まったばかりだが、佐藤さんは「責任重大。ガンガン自分が引っ張って、支えていけるようにしたい」と前向きだ。鍛治舎監督も「いい選手がそろっているし、個々の経験もある。骨のあるチームと多く試合をして、チーム全体の実戦経験を重ねていきたい。あとは勝つだけだ」と意気込む。

 創部100周年の夏。来年はどんなドラマを見せてくれるのか。「もっと全力で走れ! 全力で!」。1カ月前とは違う、頼れる佐藤さんの声がグラウンドに響き渡る。(坂井萌香)