2023年度の馬券販売が過去最高となった笠松競馬。周辺の桜並木は見ごろを迎える(昨年の様子) 

 競馬場沿いの桜並木はまだ「つぼみ」だったが、本場内には「開花宣言」ともいえるうれしい便りが届いた。笠松競馬の馬券販売が好調で、1980年度(昭和55年度)の売上金レコードを43年ぶりに更新したのだ。3年前には不祥事の影響でレース自粛が続く逆風に苦しんだが「昭和超えV字回復」を果たした。

 岐阜県地方競馬組合が主催する笠松競馬は3月22日、2023年度の全日程を終了。1年間の馬券発売額は451億円1502万円で、過去最高額を更新した。これまでは1980年度の445億2317万円が最高で、昭和の時代の記録を上回った。

 インターネットによる馬券販売が好調さをキープ。オマタセシマシタなどアイドルホースの出走やウマ娘のコラボイベントで若者らの来場が増え、昭和レトロ感あふれる場内の魅力をアピール。1日平均発売額も4億6900万円で過去最高となった。
 

斉藤慎二オーナーの所有馬オマタセシマシタ。笠松で2勝を挙げて人気を集めた

 ■競馬組合、厩舎関係者たちの努力で記録更新

 全国的にも南関東、高知、名古屋などで右肩上がりの傾向が続いているが、地方競馬にこんな時代がやって来るとは…。10年ほど前には、Ⅴ字の谷間を体感した競馬関係者やファンの誰もが想像しなかったことだろう。

 特に笠松競馬では4年前の夏に騎手、調教師による馬券の不正購入が発覚。翌年1月からレースは8カ月間も自粛され、信頼回復と再生を誓って再出発してまだ2年半。競馬組合、厩舎関係者たちの努力で、よくぞここまで持ち直して、記録更新につなげたものだ。

 昭和の頃とは違って、今は全国でネットを通して馬券が売れている。昭和55年に記録した「445億円」は笠松競馬場だけで販売された純粋な紙馬券。日曜日から連続6日間が多く、開催日数は126日で1日平均では3億5283万円。連日1万人以上が入場しており、最高記録(1日平均)は昭和49年の1万3799人だった。競馬場の窓口に来るしか馬券が買えなかった古き良き時代だ。

昭和の時代の笠松競馬場。スタンドはファンで埋まり「走るドラマ」をキャッチフレーズに熱戦が繰り広げられた

 ■馬券窓口あちこちに、すさまじい熱気

 昭和55年といえばJRA3冠馬のミスターシービーが生まれた年で、日本ダービーを勝ったのは郷原洋行騎手騎乗のオペックホース。プロ野球では「赤ヘル軍団」広島カープが日本シリーズで連覇を飾った年だ。

 初めて笠松競馬場へ行ったのはこの頃だった。昭和56年春、職場でスポーツ担当になって、紙面に掲載されている出走表の見方や馬券の買い方を覚えるため「現地実習」となったのだ。

 堤防道路下では有料駐車場への呼び込み込み合戦がすごかった。場内に入るとファンでほぼ埋まっていた。馬券発売の窓口があちこちにあって、どこも長い列ができており、すさまじい熱気だった。手書きの投票用紙を窓口のおばちゃんに渡して、買い目を復唱してもらう方式で、枠連を1点1000円単位で買うことが多かった。

 レース観戦は、先輩が定位置にしていた第4コーナー前のスタンドで立ち見。カーブを曲がって最後の直線に向かってくる競走馬と騎手の迫力に圧倒された。専門紙「競馬東海」を手にすると「予想の枠内の目を買えば当たるよ」と言われて、その通り購入するとビギナーズラックとなった。

2005年4月、存続・復興の救世主として笠松競馬場に里帰りしたオグリキャップ             

 ■「どん底」106億円、現場の底力で存続の道

 21世紀初頭、全国の地方競馬場は「存続へのサバイバルレース」の様相となり、各地でバタバタと廃止が相次いだ。笠松競馬でも馬券収入の落ち込みから、2004年度には廃止寸前となった。存続・復興の救世主としてオグリキャップが笠松競馬場に里帰り。基金を取り崩すなどして何とか赤字化は阻止してきたが、月曜、火曜の開催日には1日1億円割れもあり、「年間100億円のデッドラインを切ったら、本当にやばい。踏みとどまれないのでは」と冷や冷やしていたものだ。

 2012年度には馬券発売額が「どん底」の106億7264万円までダウン。1年ごとに「赤字=即廃止」の綱渡り状態が続いたが、賞金・手当の大幅カットを受け入れるなどした現場の底力で何とか存続の道を歩んできた。

 当時、場内でファンのオアシスでもあった競馬グッズ店を営んでいた「愛馬会」代表の後藤美千代さん。04年から笠松競馬存続の署名活動を各地で行うなど、懸命になって現場を支えてきた。減り続ける馬券販売に対して「存続への最後の頼みの綱」として、インターネットでの地方・中央競馬の馬券相互発売や、場内でのJRA馬券販売に期待。「(ラブミーチャンのような)スターホースの出現を待ち望んでいます」と笠松競馬の再興を願っていた。

2004年11月、笠松競馬の存続を願って金山総合駅で行われた署名活動。愛馬会などのメンバーが参加した

 ■JRAネット投票が地方競馬復興の切り札に

 12年10月には待望の「JRAネット投票」が地方競馬でもスタートした。当時「D-net」から移行した「オッズパーク」など地方限定のネット投票はあったが、一部のファンが利用していただけ。JRAの「IPAT」には当時約350万人の会員がいて、JRAネット投票の導入とともに、中央のファンが地方競馬にも興味を示し、徐々に浸透していった。地方競馬復興の切り札になったのだ。

 JRAネット投票の導入で、売り上げアップが期待された。普及にはやや時間を要したが、13年度からの馬券販売は右肩上がりで笠松競馬も8年連続で黒字を確保。21年には騎手らの馬券不正購入など一連の不祥事の影響で、8カ月間もレースを開催できず、馬主や騎手らへの補償費などが膨らみ、巨額赤字を抱えた。

 「黒いカネ」を巡って再び存続のピンチを抱えたが、経営面では余力があった。レース再開後は「新生・笠松競馬」として、クリーン度100%の公正確保と信頼回復に努め、22年度には1日平均6.6%の伸びで427億円までV字回復を果たした。23年度は8.8%の伸びで馬券発売額は450億円を突破し、10年前の4倍超にもなった。

スタートダッシュ。クリーンさをアピールした笠松競馬のレース

 ■高齢者にもスマホ普及、ネットでの購入急増

 バブル崩壊の時代を経て、生き残った半分ほどの地方競馬場。ネット販売で馬券が買える時代となって、高齢者にもスマホが普及。コロナ禍による「巣ごもり需要」もあって、馬券のネット購入者が急増した。

 インターネットでは「JRAネット投票」のほか「オッズパーク」「SPAT4」「楽天競馬」がある。競馬場だけで売っていた昭和の時代は「純益」が大きかったが、ネット投票では、手数料が10%超と高率である。馬券の種類は単複、枠連しかなかった時代から、現在では馬単、3連単、ワイドなども導入されて様変わり。「オッズパークLOTO」には後半5レースの勝ち馬を当てる「5重勝単勝式」などもある。   

 一方、競馬場でライブ観戦を楽しむファンは激減。近年の笠松入場者はお盆や年末を含めても1日平均800人前後にダウンし、通常の平日は600人ほどだ。旧名古屋競馬場の場外(リニューアル)入場者が笠松本場よりも多かったり、一宮場外にもファンが流れており、分散化の傾向にある。

「純白のアイドルホース」アオラキの笠松でデビュー戦で熱い視線を送るファンたち

 ■オグリキャップ聖地巡礼やオマタセ効果、アオラキ効果も

 馬券販売が過去最高となった要因としては、発売額の90%を占めるインターネット販売が好調さをキープ。高知、佐賀、名古屋などではナイター導入で馬券販売増につなげているが、笠松では昼間のみの開催。競合地区との「隙間」を突いて健闘している。

 オグリキャップがデビューした笠松への聖地巡礼で来場する若者らが増加。昨年4月には芦毛馬限定の「ウマ娘シンデレラグレイ賞」などコラボレースで盛り上がった。人気お笑いトリオ「ジャングルポケット」の斉藤慎二さん持ち馬・オマタセシマシタが笠松で2勝。ゴールドシップ産駒で純白のアイドルホース・アオラキも笠松で初勝利を飾った。パドック前のラチ沿いには大勢の若者らが並び、スマホなどで返し馬やレースを撮影。歓喜のVゴールに酔いしれた。

笠松で地方・中央の初勝利を飾り、笑顔の田口貫太騎手

 オマタセ効果、アオラキ効果として全国から若者らが来場し熱気に包まれた。「単勝や複勝を100円ずつ」とかファンの馬券購入は少額でも、アイドルホースの活躍は笠松競馬場のイメージアップに大きく貢献してくれた。

 昨年3月、JRAでデビューした田口貫太騎手。35勝を挙げてルーキーでは断トツの成績でJRA最多勝利新人騎手賞を受賞した。両親が笠松競馬の元ジョッキーで、父は笠松競馬の現調教師(田口輝彦さん)。笠松でのJRA交流戦やエキストラ騎乗で貫太騎手が来場することも多く、「丸刈りの愛されキャラ」でも注目を集めている。夢は日本ダービー制覇などGⅠジョッキーになることで、笠松でも応援する地元ファンは多い。

場内ユーホールで開かれた笠松競馬金曜日ライブ

 ユーチューブ予想番組では「笠松競馬金曜日ライブ」の配信もあり好評だ。実況アナ、競馬エース、東海の記者をはじめ名古屋のアイドルグループ「dela」のメンバーらがレースを盛り上げ。東スタンドの有料席「ユーホール」でも開かれ、ファンサービスに努めている。

 場内では昭和レトロ感あふれる飲食店も大にぎわい。来場者は「どて飯」や串カツなどご当地グルメを堪能。昔ながらの情緒にあふれ、全国的にも「すごくおいしい」と評判だ。馬券はあまり買わなくても飲食が楽しみというファンも多く、笠松探訪の大きな魅力になっている。

にぎわう場内飲食店。来場者は笠松名物のご当地グルメを堪能した

 ■放馬事故防止、薬師寺厩舎への移転・集約に全力

 いろいろとあった笠松競馬。ここ10年間で立ち位置は大きく変わったが、さらに10年後の姿は不透明である。一連の不祥事に対して、競馬組合では「再発防止に取り組んできたことが、ファンの皆さまに一定の理解を得られたと考えている」と、今後も気を引き締めて全力で信頼回復に努めていく。

 それでもかつてのバブル崩壊のように経済情勢が激変し、競馬など公営ギャンブルを取り巻く環境に逆風が吹く可能性もある。安全確保の面では、放馬事故の再発などが懸念され、円城寺厩舎の薬師寺厩舎への移転・集約に全力を挙げる構えだ。

4月1日に笠松競馬でデビューするルーキーの明星晴大騎手(NAR提供)

 ■「明星晴大騎手サクラサク」1日デビュー

 競馬場周辺の桜並木は新年度開催とともに見ごろを迎え、お花見も楽しめる。4月5日10Rの桜吹雪短距離特別(A4、1400メートル)では、白毛馬アオラキの出走登録もある。名古屋所属だが、笠松限定騎乗か。3勝を挙げてJRA復帰を目指すとみられるが、初勝利の勢いで地方重賞にも挑戦してくれれば、さらに盛り上がりそうだ。

 昨年末まで笠松競馬場内で実習に励んだ17歳の明星晴大君は晴れて騎手免許試験に合格し「サクラサク」。後藤佑耶厩舎所属で4月1日の笠松開催でデビュー。初日は2Rで初騎乗し4鞍を予定。8R後に紹介セレモニーも開かれる。168センチと笠松随一の長身。伸びやかなフォームとフレッシュな騎乗で、ゴール前やネット越しで応援するファンのハートを射止めたい。


※「オグリの里2新風編」も好評発売中

 「1聖地編」に続く「2新風編」ではウマ娘ファンの熱狂ぶり、渡辺竜也騎手のヤングジョッキーズ・ファイナル進出、吹き荒れたライデン旋風など各時代の「新しい風」を追って、笠松競馬の歴史と魅力に迫った。オグリキャップの天皇賞・秋観戦記(1989年)などオグリ関連も満載。

 林秀行(ハヤヒデ)著、A5判カラー、206ページ、1500円。岐阜新聞社発行。笠松競馬場内・丸金食堂、ふらっと笠松(名鉄笠松駅)、ホース・ファクトリー、酒の浪漫亭、小栗孝一商店、愛馬会軽トラ市、岐阜市内・近郊の書店、岐阜新聞社出版室などで発売。

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