甲子園での県勢の優勝は春夏合わせて4度あり、いずれも戦前に岐阜商(県岐阜商)が達成している。4回にわたり、特別編として4度の戦いぶりや要因、背景を振り返る。
■1回戦の静岡中戦の大苦戦から大躍進
1925年9月に創部した岐阜商野球部が初めて甲子園の土を踏んだのが32年選抜。だが、初戦の2回戦で優勝した松山商(愛媛)に0―8で大敗した。
それだけに翌33年の選抜は、選出が厳しいとの見方があったというが、第10回の記念大会のため、出場校が32に増え、晴れて2年連続で選抜に出場した。
主将を務めたのが、後に母校監督として5度の出場で2度準優勝、ベスト4が1度、ベスト8が2度の名将となる村瀬保夫。
エースは4年生(当時は5年制)の広江嘉吉だったが、2年生に3度の胴上げ投手となる松井栄造がいた。
1回戦は静岡中(現静岡)。計16安打を放ち、序盤から加点して優位に進め、最終回に1点差に迫られたものの6―5で逃げ切った。
先発は捕手の近藤弘一だったが、エース広江、初登板の松井の3人で5度のめまぐるしい投手交代でかわし、記念すべき学校初勝利を果たした。
2回戦の鳥取一中(現鳥取西)で松井が初先発し、5―3で完投。6安打4四球ながら奪三振は11。失点は3だが、失策がらみで自責点はゼロだった。
準々決勝は1回戦桐生中(現桐生、群馬)戦で無安打無得点を達成した森田俊男擁する海草中(現向陽、和歌山)。初回の猛攻で一挙3点を先制し、森田を攻略。エース広江が2安打完封。3―0で完勝した。
準決勝は広島商。桐生戦に続き、エース広江の好投が光り、3安打完封。打線も中盤に猛打を振るい、三回に1点先制、四回には3点を挙げ、試合を決めた。
■松井の力投、スクイズの決勝点で初の全国制覇
準決勝の組みあわせも初制覇に影響した。...