「ありがとうラブミーチャン、安らかに」―。510㌔前後とグラマーで、栗毛の馬体がピカピカと光っていた。パドックでは、ファンの声援に応えて、いつも愛らしく「チラ見」をしてくれていたね。
笠松競馬の「快速娘」「看板娘」として全国で疾走。多くのファンに愛され、笠松存続をけん引してくれた名牝が天国へと旅立った。
馬主のDr.コパこと小林祥晃さんが自身のX(旧ツイッター)で「ラブミーチャン 8月31日朝、谷岡牧場で息を引き取りました。17歳でした。たくさんの思い出をありがとう」と伝え、愛馬の冥福を祈った。
笠松競馬では、記念競走に馬名を残すオグリキャップが25歳、ライデンリーダーは22歳で永眠した。それに比べ「ラブミーチャンは早過ぎる、もっと長生きしてほしかった」との思いは強い。厳しい経営状況でデッドラインが迫っていた笠松競馬の「希望の星」となって、力強く駆け抜けた「栗毛のシンデレラ」の蹄跡を振り返った。
■コパさん「笠松競馬が大変だった時に、全国で戦ってくれて感謝」
コパさんによると「ラブミーチャンは昨年の秋口から体調を崩していたが、頑張ってきた。あれだけ強い牝馬で、笠松競馬が大変だった時に、笠松所属のまま全国のレースで戦ってくれて感謝しかないです」と愛馬をしのんだ。
ラブミーチャンが6歳で引退後、繁殖牝馬、功労馬として暮らしていた谷岡牧場(北海道新ひだか町)では「数週間前から痩せてきてしまい、起きられなくなっていました。食欲はありましたが…。暑さなど天候の影響も負担になったのかも。(亡くなったことは)午前7時すぎにスタッフが気が付きました。コパさんの希望で牧場のお墓に供養塔をつくる予定です」と。10年余り世話をしてきた牧場スタッフにとっても、つらい別れになった。
■「笠松競馬場内にラブミーチャンの記念像を」
牧場内の供養塔とともに、コパさんは「笠松競馬場内にラブミーチャンの記念像をつくりたいと考えています」と話し、最愛の競走馬の活躍をたたえ、後世に語り継いでいく意向だ。笠松には正門近くにオグリキャップ像があり、ラブミーチャンの記念像についても、そのようなイメージをされているようだ。
場内には、ラブミーチャンの大きなパネル写真も展示されている。2012年に東京盃(JpnⅡ)を浜口楠彦騎手で勝った直後の雄姿だ。名馬の里に2頭目となる記念像が新設されれば、笠松競馬場の新たな「撮影スポット」として、訪れるファンの注目を浴びることだろう。
昨年秋には企画展「笠松競馬~ラブミーチャンのふるさとを訪ねて」が地元・笠松町の歴史未来館で開かれ、全国からウマ娘ファンらも多く来場してにぎわった。ラブミーチャンが元気なうちに開催できて本当に良かった。
■315万円の馬がダートグレード競走5勝
ラブミーチャンは2007年生まれの牝馬。父サウスヴィグラス、母ダッシングハニー(母父アサティス)という血統で、生産は北海道のグランド牧場。08年サマーセールでコパさんに見初められ、315万円で落札された。09年12月には川崎での全日本2歳優駿(JpnⅠ)を制覇し、一夜にして「2歳地方馬日本一」の栄冠をつかんだ「栗毛のシンデレラ」。すさまじいダッシュ力と成長力でJRA勢も撃破。2歳馬では史上初めてNARの年度代表馬に選出された。
当初はJRAの須貝尚介厩舎(栗東)に預けられ、コパノハニーとして登録されたが、腰が緩くデビューを果たせず。ゆっくりと調整を行うため、笠松競馬の柳江仁厩舎に移籍した。コパさんは「自分自身を愛して、じっくりと育て」との願いを込めて「ラブミーチャン」と名付けた。
その牝馬が4年余り、息の長い競走馬生活で34戦18勝(うち重賞16勝)。地方・中央交流のダートグレード競走では、全日本2歳優駿(JpnⅠ)、東京盃(JpnⅡ)など5勝を挙げる素晴らしい活躍。JRAのフィリーズレビュー以外はすべて牡馬との混合戦に出走。生涯獲得賞金は2億5840万円をたたき出した。
■「筋肉の付き方抜群」「切り替えが上手」「手綱にしっかり反応」
「オグリキャップなどを輩出した名馬の里・笠松なら、ゆったりと成長してくれるはず」と考えたコパさん。方角も良い笠松競馬場に中央未出走のまま転入。柳江調教師は「お尻から後ろ脚の筋肉の付き方は抜群に良く衝撃を受けた。低い姿勢で氷を滑るように走るフットワークは、しなやかな筋肉が生み出している」と素質の高さを感じた。
日々の世話役となった森崎隆厩務員は「調教やレースの時と休養中の切り替えが上手。普段は人懐っこく、昼寝するくらいリラックス。本番は闘志むき出しで目がつり上がる」と語り、愛馬は抜群の集中力を発揮した。
レースではスタートダッシュで先頭に立ち、バネのある力強いフットワークと豊かなスピードでゴールを目指した。2歳時は全て逃げ切り勝ち。5戦とも騎乗した濱口楠彦騎手も「賢い馬。手綱にしっかり反応してくれる」と絶賛した。
■1200メートル戦、京都2歳レコードで逃げ切り
愛らしい馬名が新聞紙上に登場したのは09年10月7日のデビュー戦。JRA認定新馬チャレンジ(2歳5組)で、岐阜新聞スポーツ欄の予想でも◎の印。単勝1.3倍、浜口楠彦騎手とのコンビで、800メートルを48秒1の好タイムであっさり逃げ切った。2着ワイドサンデー(向山牧騎手)に4馬身差、6→4→7で馬単1040円、3連単7690円の決着となった。これでJRAの特定レースへの出走が可能となった。
2戦目で早くも笠松重賞「ジュニアクラウン」を制覇。11月、3戦目ではJRA・2歳500万下(現1勝クラス)のダート1200メートル戦に挑戦。中央馬を圧倒し1分11秒0で逃げ切った。このタイムは京都競馬場の2歳レコードとして、いまだに破られておらず、出走表にもレコードホルダー「ラブミーチャン」と名前が刻まれている。
4戦目では早くも地方・中央交流重賞のダートグレード競走に挑戦した。兵庫ジュニアグランプリ(JpnⅡ)で、アースサウンドなどJRA勢の追撃を許さず、またも「圧逃V」。京都→園田は中8日だったが「2歳時はハードなローテーションでも問題なく、走るたびに力を付けてグングン強くなった」と浜口騎手。管理した柳江調教師にとっても驚異の成長力だった。
■ぎふチャンで「全日本2歳優駿、勝つチャンスは十分」
園田でのダートグレード勝ちで、笠松競馬ファンとしてハートに火が付いた。当時、ぎふチャン「記者の目」のコーナーで「笠松競馬にスターホース」をテーマに、まだ知る人が少なかったラブミーチャンの存在をアピールしたことがあった。メモ書きが残っていたので、その内容を紹介すると―。
「デビュー以来、華麗なる逃げで4連勝。強さは本物。園田で重賞レースも制した。この日、笠松競馬場では中央のGⅠでも活躍したミツアキタービン(フェブラリーS4着)の引退式が行われ、世代交代となった」
「笠松競馬は、借地問題で地主さんとの和解が成立。2004年の存続問題から毎年、赤字転落ピンチを乗り越えてきた。『中央競馬のエリートホースにも負けない強い馬を育てるんだ』と気概を持った騎手、調教師、厩務員たちが経営改善のために安い賞金や手当に耐えて頑張ってきた」
「期待のラブミーチャンには『笠松のハマちゃん』と呼ばれる浜口楠彦騎手が騎乗。笠松から中央入りした安藤勝己騎手とは同期で誕生日も同じ。次のレースは12月16日・川崎での全日本2歳優駿。中央馬との対決となる交流GⅠレース(JpnⅠ)。1着賞金は3500万円。勝つチャンスは十分。これからもファンに夢を与える強い馬をどんどん育ててほしい」
■「ハマちゃん&ミーチャン」歓喜のウイニングラン
「快速娘」と呼ばれたラブミーチャンが、全日本2歳優駿で最高の輝きを放った。川崎10Rのナイター。1600メートル戦、14頭立てでJRA勢は4頭。ラブミーチャンは2番人気で、北海道2歳優駿(JpnⅢ)など重賞3連勝中の道営・ビッグバンが1番人気となった。
ラブミーチャンは好スタートから先手を取り、そのまま逃げ切った。最後の直線では迫ってきたJRA勢を突き放す強い勝ち方。2着に突っ込んだ道営・ブンブイチドウ(岩田康誠騎手)に1馬身半差をつけて完勝した。3着はJRAのアースサウンド(後藤浩輝騎手)が踏ん張った。
勝ったラブミーチャンは、ゴール後も勢いがすごくて3コーナーまで行ってしまった。「ハマちゃん&ミーチャン」の最強コンビは、コースを1周することで夢舞台での歓喜のウイニングランを披露できた。ステッキを持った右手を高々と上げて、ファンの声援に応えた。
テレビ番組で「勝つチャンスは十分」としゃべってしまったし、スカパーのライブ中継を観戦しながら力が入った。応援馬券も買っていたが、1番人気が飛んだおかげか、思いがけない高配当に。2→7→5番人気で3連単11万円超と、馬単もゲットできた。後日、そのことを調教後のハマちゃんに「馬券でもお世話になりました」と伝え、感謝したことがあった。すると「おー、すごいじゃん」と喜んでくれた浜ちゃんスマイルが懐かしく思い出される。
■NAR「年度代表馬」含め3冠、柳江調教師に「殊勲調教師賞」
NARは2009年の「年度代表馬」に笠松所属の牝馬ラブミーチャンを選出した。兵庫ジュニアグランプリ(JpnⅡ)に続いて全日本2歳優駿(JpnⅠ)制覇が決め手となった。2歳馬による年度代表馬は、20回目を迎えたNARグランプリ史上初めての快挙となった。
デビューからいずれも他馬に先頭を譲らない逃げ切りで無傷の5連勝。「サラブレッド2歳最優秀馬」と「最優秀牝馬」も受賞して、何と「3冠」の栄誉。愛馬を管理した柳江仁調教師は「殊勲調教師賞」に輝いた。
年度代表馬受賞について、柳江調教師は「管理する者として光栄。同時に責任がより大きくなったと感じている。今後も関係者の期待に応えられるよう努力したい」とコメント。5戦とも騎乗した浜口騎手は「年度代表馬に選ばれた馬に乗せてもらえる私は、もっと光栄です」と喜びを語った。
柳江調教師は「改めてすごい馬だと思った。もっと注目される馬にしたい」と話し、JRA・桜花賞への出走を目指して調整していくという。サウスヴィグラス産駒の短距離ダート馬が、芝レースで上位進出を果たせるのか。桜花賞トライアルが行われた阪神競馬場へも笠松から大応援団が駆け付けた。(次回「ミーチャン・フィーバー、桜花賞トライアル挑戦」に続く)
※「オグリの里2新風編」も好評発売中
「1聖地編」に続く「2新風編」ではウマ娘ファンの熱狂ぶり、渡辺竜也騎手のヤングジョッキーズ・ファイナル進出、吹き荒れたライデン旋風など各時代の「新しい風」を追って、笠松競馬の歴史と魅力に迫った。オグリキャップの天皇賞・秋観戦記(1989年)などオグリ関連も満載。
林秀行(ハヤヒデ)著、A5判カラー、206ページ、1500円。岐阜新聞社発行。笠松競馬場内・丸金食堂、ふらっと笠松(名鉄笠松駅)、ホース・ファクトリー、酒の浪漫亭、小栗孝一商店、愛馬会軽トラ市、岐阜市内・近郊の書店、岐阜新聞社出版室などで発売。
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