イベントにブースを出したブラジル岐阜県人会のメンバー=サンパウロ

 日本から飛行機を乗り継いで24時間以上、丸い地球のちょうど反対側にあるブラジルは、はるか遠い国というイメージがありますよね。でも、200万人とも言われる日系人のいる世界一の親日国なんです。

 私は29年前の1992年、JICAの青年海外協力隊制度でブラジルに派遣され、その後サッカージャーナリストになり長く住むことになりましたが、これまで日本人だからと差別されたことはなく、反対に日本人だからと信用され、温かく迎えられ、嫌な思いをしたことがありません。それは、1世紀以上に渡って移民の方々が絶え間ない努力で信用を勝ち取り、この国の成り立ちに貢献した恩恵を受けているからです。

 岐阜県との縁もとても古いことをご存じですか? 初めて岐阜県人がブラジルに移住したのは今から108年前の1913年。県人会は38年に設立されました。郷里の者同士が互いに助け合って異国の地で生き抜いた1世の時代から、現在は2、3世がメインになってきました。

 主な活動として17年間続いている日伯友情交流絵画展の開催や、1978年から続いている農業高校生海外実習派遣事業の受け入れがあります。絵画展は昨年、今年とコロナ禍のためバーチャル開催となりましたが、それを逆手に取り、日本、岐阜からの出展者をお迎えできるようになり、まさに日伯の芸術交流の懸け橋となっています。また、郡上おどりをブラジル最大の歩行者天国と言われるパウリスタ大通りで披露。毎月発行する会報は日本語、ポルトガル語のweb版で世界に向けて発信しています。ブラジル県人会のみんなの心は「ちっちゃな岐阜親善大使」なのです。

 県人会の2世、3世の中には日本語が話せなかったり、日本に行ったことがなかったりする人もいます。それでも、岐阜を「ふるさと=自分のルーツ」と思い、「もっと知りたい。岐阜を誇りに思いたい」と愛情たっぷりなんです。世界に、こんなにも岐阜に恋い焦がれている人たちがいるって驚きですよ!

 日本から遠いとはいえ、その昔、船で50日間かけていた頃を考えれば、日本まで1日で行けるなんてあっという間ですよ! 

 だからこそ、ここまで来てくださった方々を熱烈歓迎いたします。わが家でシュラスコパーティーをやりますので、ぜひおいでください!

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◆ブラジル県人会 大野美夏理事略歴

 おおの・みか 岐阜市生まれ、揖斐郡揖斐川町育ち。サッカージャーナリスト、岐阜県人会インターナショナル(GKI)副会長。54歳。

▼メッセージ

 家族は日系2世の夫と大学生の娘と猫4匹。サンパウロ市在住。1995年からブラジル代表のサッカー選手や監督の取材を続け、ネイマールなど選手の少年時代を書いた本の出版も。最近はサンバ演奏に使われる楽器カバキーニョ、歌のレッスン、コーラスを始めました!