笠松競馬年末の大一番として盛り上がる東海ゴールドカップ(1994年)。ファンがスタンドを埋め尽くした 

 「あれは情けないなあ」と鷲見さん。「厩舎は草がぼうぼうで寂れてしまった」と嘆いたが、心を痛めていたことがもう一つあった。笠松競馬を語る上で避けて通れない黒い歴史について「八百長かなんかの馬券のあれと、調教師のセクハラで」と一連の不祥事にも話が及んだ。

 笠松競馬では、3年前に家宅捜索を受けて発覚した騎手、調教師による馬券の不正購入と、その後に明らかになった所得隠しやセクハラで、騎手8人と調教師5人が引退に追い込まれた。

 鷲見さんとしては「オグリキャップのような馬を笠松競馬場から出しているのに、ああいう事件を起こして、なんじゃ情けないと思う」と名馬の里の転落にがっかりされた様子。厩務員らへのセクハラについては「俺の厩舎にも女性2人と夫婦者がいたが、笠松でそういうことはなかった」という。

 不祥事で8カ月間もレースが中止になった。八百長事件での逮捕などには至らなかったが、リーディングジョッキーらが次々と退場になって引退し、存続が危ぶまれる事態になった。所属騎手は17人から9人に半減し、フルゲート12頭に満たない異常事態に陥った。

 ■昭和の時代には覚醒剤絡みの八百長事件

 昭和の時代(1975年)には笠松競馬で覚醒剤絡みの八百長事件が起きて、多くの騎手が逮捕された。これについて「先生の時代にも結構やっていたと聞きますが」との問い掛けには、当時の不祥事をよく知る現場の一人として、潔く答えていただけた。

 「芋づる式になっちゃって、引っ掛かった者がいたなあ。1人が捕まると、あれもやった、これもやったと」。やはり八百長絡みの「黒いカネ」を持ってくる者がいたそうで「あったなあ」と当時の様子を生々しく振り返った。

 全国的にも八百長事件が横行していた時代で、警察の捜査は名古屋競馬から笠松競馬へと進展。東海公営の2場で派手にやっていたことが、あぶり出された。笠松競馬の騎手や厩務員らの逮捕者は19人に膨らんだのだ。(オグリの里「最悪だった昭和の不祥事」で掲載済み)

笠松競馬の円城寺厩舎。鷲見昌勇さんも調教師時代に愛馬たちを管理していた

 ■本命グリグリの馬で「あれを引っ張ってくれ」と

 鷲見さんは1963年から騎手を務め、69年に調教師へと転身した。この頃にも八百長は横行していたとみられる。もう半世紀以上も前のことだが、笠松のジョッキーにも魔の手が忍び寄っており、その実態を明らかにしていただけた。

 「俺も馬に乗っている時分、そういうことがあった」というのだ。

 それは、不正グループから八百長の依頼を受けたということだった。当時は名古屋の調教師が、笠松にも厩舎を構えて馬を持てた。「先生は名古屋やったが 自分は騎手として笠松の厩舎にいた頃、名古屋のスズアカという馬に乗ることになった。本命(◎の印)グリグリの馬だったが 『あれを引っ張ってくれ』と言ってきた」。八百長行為を持ち掛けられたことがあったというのだ。

 競馬での八百長とは本命馬の敗退行為である。勝つ実力がある馬なのに、騎手が追わないでわざと負けることだ。枠番連勝の馬券が主流だった昭和の頃は「1、2着に来るな」と頼まれた騎手が、騎乗馬の手綱を引っ張って制御し、馬券圏外に沈ませるパターンが多かった。

昭和の時代の笠松競馬場。ゴールを目指して人馬が熱戦を繰り広げた

 ■黒いカネが入った封筒を「放り投げた」

 「小雨が降っていた夜に厩舎へ来て、やっぱりカネを持ってくるわ。20万円ぐらい封筒に入っとったな」と驚きの事実を証言してもらえた。「スズアカが名古屋から笠松のレースに来て、乗せてもらうことになった。少ない給料でいっぺんにそれだけもらえれば、そりぁ喉から手が出るほどの額やったが」と思ったそうだが、「『こんなもの、もらう必要はない』とバーンと放り投げてやった」と黒いカネが入っていた封筒を突き返したという。八百長には関与できないとキッパリとした態度で誘いを断ち切ったのだった。

 「あのとき、ああいうもの(黒いカネ)を受け取っていたら『ヒモ』のような関係になっちゃって、俺はこういうキャップのような馬はつくれなかった。馬づくりに力が入らんようになったな」と当時の心境を回顧。やはり、キャップ誕生の最大のキーマンとして、鷲見さんは大きな鍵を握っていたのだ。騎手としてクリーンでフェアプレーに徹して、調教師転身後も強い馬づくりに励まれたのだった。

 証言にあるように「あのとき」に魔が差して黒いカネを預かっていたら、競馬の世界から永久追放になる恐れもあった。たとえ発覚しなくても、強い馬づくりへの意欲をなくし、競馬に取り組む姿勢も違ったものになっていただろう。オグリキャップという日本の競馬史上最大のヒーローは誕生していなかったことにもなる。

 ■騎手が1周勘違いし、八百長騒ぎ

 1975年の事件では、名古屋や笠松を舞台に八百長グループによるノミ行為などが横行。暴力団や騎手らによる覚醒剤が絡む八百長事件で岐阜、愛知両県警の摘発を受けた。笠松競馬の騎手11人をはじめ、厩務員や馬主ら8人が逮捕される最悪の不祥事となった。

 インターネットや場外での発売がなく、競馬場に行くしか馬券が買えなかった時代。笠松では81年の東海ゴールドカップで、八百長騒ぎとなって逮捕者も出る大きな事件があった。1番人気馬の騎手が1周勘違いして手綱を緩めて5着に敗れたため、八百長が疑われた。「締め切り直前には万馬券だったのに、オッズが半分以下にガクンと下がったのはおかしい。八百長だ、金を返せ」と投票窓口には馬券代の返還を求めるファンが長い行列をつくった。

 個人的には、ヒカリデュール(翌年に有馬記念制覇)の出走取り消しを知らずに馬券を買い、8枠代用のアンカツさん騎乗のサンローレオーが1着となり、大当たりできた。「八百長でレースが無効にならないうちに」と急いで換金したが、場内には殺気立った空気が充満していた。その後、未明まで放火や投石が続き、警官や機動隊が出動する大騒ぎになった。あんな経験は最初で最後だろうが、その後「競馬の沼」にどっぷりと引きずり込まれることにもなった。

2021年、騎手、調教師による馬券不正購入事件で笠松競馬はレースを自粛。8カ月後に再開され、関係者が公正競馬、信頼回復を誓った

 ■令和の事件では「よくつぶれなんだ」

 騎手が自ら騎乗するレースで不正を行っていた令和の事件では、鷲見さんも「競馬場がつぶれるかどうかまでいったが、あれには参った。なんや情けないことやったなあと。よくつぶれなんだ」と憤り、あきれていた。

 笠松競馬でレースの不正が表面化して開催が取りやめになったのは、昭和50年と令和3年の2度。平成の時代にも、水面下では断続的に不正が行われていたとみられている。現在、クリーン化は進んでいるが、今後も事件が再発する可能性はある。「騎手、調教師による馬券の不正購入」という、鷲見さんが言う「情けない」事件を風化させてはいけない。

オグリキャップ里帰りセレモニーに出席した笠松競馬の関係者。大勢のファンとともに競馬場存続を願った

 ■鷲見さん、大相撲やプロ野球も大好き

 鷲見さんは調教師を引退後、オグリキャップ記念などのレースを観戦したことがあった。当時、笠松競馬の管理者だった広江正明町長に競馬場で会ったそうで「もう1回俺を笠松に戻せ。キャップのような馬をつくるからと吹っかけてやった。ちょっと笠松競馬が落ち目やったからなあ」と笑いながら語ってくれた。

 引退後は郡上市の実家に戻って、悠々自適の日々を送る鷲見さん。競馬以外では、大相撲やプロ野球をテレビ観戦することも好きだという。この日は名古屋場所の14日目。午後2時からの中継では幕下の取組にも注目。「笠松競馬の森島貴之騎手の長男で、笠松中学出身の大馬翔が先場所デビューしましたよ」と告げると、ご存じなかったため、新聞の郷土力士のコーナーでチェック。兄弟子の大栄翔は大関昇進を逃したが、大馬翔は4勝3敗で勝ち越しを決めた。

 プロ野球では「力が入り過ぎないように、どのチームのファンということはないが、監督を見ている。どういうふうに選手を使うのかと」。どうやら調教師時代の監督目線なのか。所属馬やジョッキーを管理していただけに、プロ野球の監督の采配に興味があり、人情を捨てた冷静な判断力などを注目している。

 ドラゴンズの立浪和義監督については「人が良すぎるし、優しすぎて監督には向かない。あれでは勝てないよ」と厳しい言葉。「投手交代でも辛抱が良くて、ちょっと長く持ちすぎて、パッと切り替えることができない。星野や落合といった元監督のようなタイプじゃないと勝てない」と野球の評論家並みの鋭い指摘。毎晩、各局のスポーツニュースも楽しみに見ているそうだ。

 競馬では笠松のテレビ中継はないが、土日の中央のレースはGⅠなどをよく見るそうだ。「福永騎手が辞めて張りがなくなったが、外国人騎手は難しい所をこじ開けて入ってくる」と注目。パドックなどで馬を見て、どこが大事なのか聞いてみると「顔とトモだな」とのことで、やはりキャップの顔や馬体を思い浮かべていたようだった。

笠松でも勝利を飾ったJRAの田口貫太騎手(右から2人目)

 ■中京のレース「これ田口の息子や」

 テレビの競馬中継に目をやると「これ田口の息子や」と中京のレースに参戦した田口貫太騎手を見つけた。父の輝彦さんを騎手時代からよく知っており「中島広美騎手と一緒になった」と、鷲見さんが調教師時代に2人は結婚した。「貫太騎手は2桁勝利で新人ではトップの成績。自厩舎の馬とか、騎乗する数も多いです」と伝えると「いい厩舎に入っているね」と活躍を喜んでいた。

 キャップが笠松にいた頃には、他厩舎には古馬でフェートノーザン(中央から移籍)など強い馬がいっぱいいたが、ライバルだと思っていたのか。鷲見さんは「キャップやローマンのようにデビュー戦から生え抜きを育てるのが好きだった。よそからはあまり入れてこなかった」という。引退してからは馬券は買わないが、キャップが中央入りしてからは、枠連の馬券を購入して応援していたという。小栗さんについては「馬券はあまり買わなかった。額は多くないが、愛馬の応援馬券はちょこちょこと」とのことだ。馬主にとっては、勝てば喜びも賞金の額も大きいし、小栗さんも愛馬の勝敗に力が入っていたことだろう。

1987年11月の名古屋・中日スーツ杯を勝つなど、笠松時代に重賞5連勝を飾ったオグリキャップ

 ■若い馬たちを育てる力が素晴らしかった

 テレビ画面では、福島5Rの2歳戦でアレグロブリランテがデビュー勝ち。騎乗した戸崎圭太騎手が差し切りを決めて「うまいですね」と聞くと、先生も「そうやな」と地方競馬出身ジョッキーの活躍に注目していた。

 先生がキャップの初代調教師として、若い馬たちを育てる力は素晴らしかった。田口騎手のレースぶりをテレビを見ながら「騎手の頃、中京に行って乗ると、カーブが楽やったな。きつい笠松に比べて」と懐かしそうだ。地方馬が中央で活躍するのは難しい時代になったが、先生の頃は笠松のレベルが非常に高く、デビューして秋風ジュニアなどを制して笠松で一番の馬なら、中央の重賞をあっさりと勝つことができる夢のような時代だったのだ。

 今年のくろゆり賞では兵庫の馬が勝った。笠松勢は昨年のクイーンカップ以来、1年2カ月近くも重賞を勝っていない。スマイルサルファーで優勝した大山真吾騎手に「遠征の僕が勝ってしまってすみません」と言われたのは、やはり情けないことだ。地元勢の意地を見せられるのはいつになるのか。笠松で重賞5連勝を飾ったキャップを育て上げた鷲見さんから、現在の笠松競馬のホースマンたちを元気づける「強い馬づくり」のための貴重な一言を寄せていただけた。(つづく)


 ※「オグリの里 聖地編」好評発売中、ふるさと納税・返礼品に

 「オグリの里 笠松競馬場から愛を込めて 1 聖地編」が好評発売中。ウマ娘シンデレラグレイ賞でのファンの熱狂ぶりやオグリキャップ、ラブミーチャンが生まれた牧場も登場。笠松競馬の光と影にスポットを当て、オグリキャップがデビューした聖地の歴史と魅了が詰まった1冊。林秀行著、A5判カラー、200ページ、1300円。岐阜新聞社発行。岐阜新聞情報センター出版室をはじめ岐阜市などの書店、笠松競馬場内・丸金食堂、名鉄笠松駅構内・ふらっと笠松、ホース・ファクトリーやアマゾンなどネットショップで発売。岐阜県笠松町のふるさと納税・返礼品にも加わった。