武豊騎手を背にラストランとなった有馬記念を制覇したオグリキャップ

 「俺が思うのは、強い馬づくりには厩務員が第一やな」。オグリキャップをはじめ数々の名馬を育てた調教師時代を振り返って、鷲見昌勇さんは強調した。牧場巡りに始まってゲートインさせるまで、鷲見さんの言葉から学ぶべきことは多く、笠松競馬の厩舎関係者への励ましの声のようにも聞こえた。

 笠松競馬では現在、地元馬が地元重賞(SPⅠ~Ⅲ)を勝てない日々が1年2カ月も続いている。昨年のクイーンカップから今年の岐阜金賞まで20連敗。名古屋、兵庫など他場の馬に優勝をさらわれる「草刈り場」となって、笠松は馬場を貸しているだけという異常事態になっている。スターホース不在のいまの笠松に欠けているものは何か。一連の不祥事の後遺症で弱体化が続いており「情けないこと。笠松競馬所属がもっと勝たないと。騎手も調教師も頑張って」とファンは奮起を促している。

今年の岐阜金賞で、パドックから本馬場入りする競走馬を送り出す厩務員たち

 ■生え抜き馬を育て上げることに生きがい

 調教師として笠松や名古屋で重賞28勝を挙げた鷲見さん。中央からの実績馬転入は好まず、生え抜きの若駒(現2歳馬)を育て上げることに生きがいを感じ、中央など大きな舞台でも勝てる馬づくりに命を懸けてきた。
 
 「熱心な厩務員の存在が一番」という鷲見さんの言葉は心に響いた。調教から騎乗するジョッキーは、レースで好結果を出すことが求められる。厩務員はいつも手綱を握って、馬にとっては一番身近な存在だ。軽い運動や餌やり、馬体のケアなど日常的に馬たちと接する時間が長く、馬づくりの根幹を担う。笠松競馬の厳しい現状を打破するためにも、預かった愛馬を懸命に育ててくださる厩務員の力が今後さらに必要になってくる。

 1960年代に鷲見さんが笠松競馬の厩務員になった頃、給料は1万~1万5000円だったという。見習騎手としても励んでいたが、騎手試験には3回落ちて、4回目に26歳で合格した。当時の調教タイムは午前3時から7~8時までで、現在よりも短かった。騎手は90年代には35人ほどが在籍し、今の3倍以上と多かった。これだけいれば、攻め馬の回転は良く4~5時間で完了したのだ。
                

鷲見さんが調教師時代にいた円城寺厩舎

 ■大食いのキャップも食べていたマメヅル、栄養源に

 円城寺厩舎にあった鷲見さんの厩舎は25、26号と16号。騎手経験があったことから、 キャップには調教をはじめ、厩舎と競馬場の移動時にも乗った。キャップを中央へ移籍させる時は寂しかった。「ひのき舞台に上げるんやで…。でもキャップでチャンスを逃した東海ダービーは、調教師を引退するまで取れなかった」と残念がった。

 テレビ番組で取材を受けた際「キャップは円城寺厩舎のどこにいたのか」と聞かれ、25号の厩舎へ向かった。16号にはまだ「鷲見」の看板がぶら下げてあり、びっくりしたという。ライデンリーダーを育てた荒川友司厩舎とは隣同士の厩舎で、競争相手だった。荒川調教師は現役時代に57歳で亡くなられたが、ダイタクチカラの調教師だった倉間昭夫さんは、笠松競馬場南の堤防に時々現れて朝の攻め馬を見学されることもあるそうだ。
                     
 鷲見さんは当時を思い返して「調教後に朝飯を食べてから、草刈りに行った。稲沢市や池田町まで軽トラで出掛けて、マメヅル(シダ植物で石の表面や樹皮上に生息)が生えている所を探して、それを刈ってきた。管理する馬たち全頭の飼い葉として食わせるため」と餌の世話でも奮闘したという。

笠松競馬場の東側に隣接している薬師寺厩舎。周囲は草に覆われている

 鷲見厩舎の競走馬にとってマメヅルはいい栄養源になった。もちろん食欲旺盛のキャップも食べていて、当時の笠松の馬の強さはこんなところにもあった。人気漫画「ウマ娘シンデレラグレイ」では大食いキャラとしても有名なキャップにとって、マメヅルは大好物になっていた。
 
 6年前、NHK番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」でオグリキャップが人間以外で初めて取り上げられ、「アナザーストーリーズ」でも特集された。そこには笠松競馬場でキャップのレースぶりを振り返る鷲見さんの姿があった。最近は競馬場には行っていないそうだが「それにしても円城寺厩舎は草ぼうぼうで寂れてしまった 俺がいた頃はみんなできれいに刈っていたが。今は厩務員もみんなサラリーマンになってしまっているから、厩舎に見に行ってびっくりした。ひどいと感じた」と厩舎エリアがみすぼらしくなったことを何度もぼやいた。 

 最近では厩務員のなり手が少なく、笠松では外国人厩務員が増えており、インド人らが15人ほど在籍。母国で乗馬経験がある者も多く、調教助手としても活躍。鷲見さんに伝えると驚かれていたが、これも時代の波で、地方競馬の厩舎事情も様変わりしつつある。日本での給料はまずまずで、母国に仕送りをしている者もいる。一連の不祥事で100頭ほど減っていた所属馬は徐々に増えてきており、今後も厩務員は不足しそうだ。

1993年12月、名古屋・ゴールドウイング賞を圧勝したオグリローマンを迎える川瀬友光厩務員(右)

 ■川瀬厩務員、キャップの脚元など懸命にケア

 笠松時代、キャップ専属の担当厩務員としてご尽力され、里帰りセレモニーにも出席された川瀬友光さん。鷲見さんによると「以前は左官屋さんだったんで、すごく真面目で堅い人でした。競走馬を預かっても脚元のケアなど『ちょっとでも狂ったらあかん』と一生懸命だった」と。 川瀬さんはキャップの4戦目と5戦目の間に、厩務員の仕事を引き継いだ。この頃、キャップは蹄を痛めていたが、きれいにして完治させたのだ。愛情たっぷり、きめ細かくケアして連勝街道を突っ走る名馬へと育った。

 「川瀬さんはよその厩舎にいたが、頼み込んでうちへ来てもらった。厩務員にうまく育ててもらわないと 、いい馬はできない 。俺よりも年上だったが。強い馬をつくろうと思ったら、やっぱり厩務員が第一やわ」と力を込めた。愛馬と寝食を共にするような覚悟で、一生懸命に世話をしてくれる人が厩舎のスタッフに加われば、調教師としても心強かったことだろう。
 
 現在の笠松には約500頭が在籍。厩務員には調教助手を務める人もいて、深夜、未明の攻め馬から頑張っている。レースでは厩舎スタッフで仕上げた愛馬が無事にゴールしてくれることを祈る日々が続く。1人で4~5頭の世話に励み、1頭当たりの給与は5万円前後。あとは出走時の厩務員手当と、ジョッキーと同じくレース賞金の5%がもらえるので、1着を目指して強い馬づくりへモチベーションも高まる。

 愛馬のコンディションづくりからパドックで一緒に歩いたり、返し馬へと誘導する姿は頼もしく、ゲートに馬が入った時点で勝負の行方はほぼ決まっているといえるほど重要な役目を果たす。東海ダービーを制覇した笠松の騎手は真っ先に「仕上げてくれた厩務員さんのおかげです」とすごく感謝していた。
 

1987年11月、安藤勝己騎手の騎乗で名古屋・中日スポーツ杯を勝ったオグリキャップ

 ■「馬づくりは命懸けやった、レースに勝たせるため」

 先生の頃はアラブも含めて700頭ほどが笠松に所属し、月2回は走っていた。騎手時代には「レースでは騎手変更もあり、頼まれて乗って勝つことがあって、すごくうれしかった」と代打騎乗での勝利の味は格別だったそうだ。

 競走馬との生活は、常に命を張った緊張感のあるものだった。現役時代には「何回も死にかけたことがあった。馬に蹴られて」と振り返り、「調教師になってから、運動をさせていて、あごを蹴られて骨折する大けがを負った。松波病院の医者には『よう生きとったなあ』と言われたほどだった」という。

 「俺はキャップやローマンを中央へと上げて、名は売らせてもらった。東海地区をなで回すほどの活躍馬を出すことが目標で、馬づくりは命懸けやったから。真剣やった」と強調。「いまは、そんなに力を入れてやる者おらんわ」とも語った。

 「笠松時代、先生が一番大切にしていたことは何か」と聞いてみた。それは「レースに勝たせるということ。小栗さんが『○○の重賞が欲しい』と言えば、それを取ってやったんや。小栗さん宅の部屋には、優勝トロフィーなど獲得した物がいっぱいあった」という。当時は「おちょぼさん(海津市)へお参りによく行った」とのことで、厩舎経営の個人事業主として商売繁盛を願ったそうだ。

1981年6月、名古屋のアラブ王冠を勝ったオグリマンナと鷲見調教師(右)ら

 ■「俺には、柳ケ瀬のネオンが一番良かった」

 お話を聞いていて「どこの出身か」と問われ、アーモンドアイの国枝栄調教師や、今村聖奈騎手が所属する寺島良調教師と同じ北方町出身であることを伝えた。今春、新たに岐阜農林高出身の小栗実調教師(栗東)がデビュー。既に6勝を挙げており、函館2歳ステークスでは所属馬のナナオが2着に入り、重賞初Ⅴへあと一歩だった。

 今回、鷲見さんに直接「オグリキャップの語り部」としての楽しいお話や笠松競馬の光と影について聞くことができて、本当に良かった。まずは新刊「オグリの里・聖地編」を手渡したかったし、鷲見調教師のコメントなどが載った笠松時代のキャップの出走表(専門紙・競馬エース)を差し上げることもできた。

2005年4月、オグリキャップ里帰りセレモニーで笑顔を見せる鷲見さん(左から2人目、笠松競馬提供)

 笠松時代を振り返って、何度も口にされたのは「厩務員が第一やな」「草がぼうぼうで寂れた」「ネオンが頭にあるうちは良かった」「東海をなで回したかった」といった言葉だった。

 「(競馬という)ギャンブルでは、俺にはネオンが一番良かった」というのは鷲見さんにとっていい思い出となって柳ケ瀬のネオンがちらついているようで面白かった。現役時代から引退後もクールなイメージはあったが、意外な一面を知ることができた。

 祝勝会を兼ねた柳ケ瀬通いでは「高級クラブは料金も高かったのでは」と聞くと「少し高いが、店の子が席から動かなくて良かった。キャバレーとかは、横に座ったと思ったらすぐに奥へ入ってしまって。クラブはそれがなくて、お酌もしてくれるんで座って飲んでればよかった。(馬主の)小栗さんとは本当によく飲んだなあ。厩舎などにも一升瓶がいつも並んでいた」。ジョッキーらと店へ飲みに行くことはあまりなく、重賞を勝ったアンカツさんらとは祝勝会として厩舎で飲んだりしていたという。そんな酒豪だった鷲見さんだが「いまは一滴も飲まない」と健康管理に努めていらっしゃる。

 水も空気もおいしい郡上の大地にしっかりと根を下ろされて、時には畑仕事にも精を出されている。キャップは25歳で旅立ち、生産牧場の稲葉裕治さん、初代馬主の小栗孝一さん、中央時代の調教師の瀬戸口勉さんら多くの関係者が亡くなられたが、鷲見さんはキャップの真実を知る数少ない語り部としてご健在だ。

車の往来が多い堤防道路を横断し、円城寺厩舎から笠松競馬場に向かう競走馬

 ■「円城寺厩舎からの堤防横断は危険、早く移転を」

 地方競馬ではやはり調教師の役割が非常に大きい。厩舎で競走馬や騎手、厩務員を束ねること。若駒を生産牧場で探し出し、馬主さんに購入してもらうこと。調教から出走馬を仕上げ、レースで勝たせること。引退したある調教師は「1番人気で勝つことは最高にうれしい」と語っていた。1着ゴールは、1頭の馬に関わった多くのホースマンがそれぞれの責任を果たして歓喜に浸れる最高の瞬間である。
 
 いまの笠松競馬に希望することは何かと聞くと。鷲見さんは「円城寺厩舎がこっち(競馬場隣接の薬師寺厩舎)へと移ってしまえばいいが、いまの所では堤防の横断が危ないな」と長年過ごした厩舎からの馬の移動を心配された。

 調教やレースで「円城寺から競馬場に通うのは本当に危なくてヒヤヒヤした。いつも堤防を越すのは、上下の道を車がどえらい通るから。こっちへ移ってしまえば、楽になるわな。坂の上り下りでは、体を鍛えられて馬には良かったが」と。道路の往来には放馬による衝突事故の危険が伴い、安全確保を最優先させるべきだというご意見だった。また「当時は堤防でヤマイモなどが取れたし、名鉄の鉄橋下では魚を捕って食べていた」そうで、のどかな昭和の話も聞けた。

 2013年10月には競馬場内から放馬。堤防上で車との衝突・死亡事故を引き起こしており、あれから10年。競馬組合では厩舎の集約は「25年度末完了」を目指しているが、予算や用地の問題などで先送りすることなく、速やかに新しい厩舎の建設を進め、完全移転につなげていただきたい。

「オグリキャップの語り部」として、お元気な鷲見さん 

 ■鷲見さんの手腕は高く評価されるべき

 現在は奥さん、娘さん夫婦との4人暮らし。「この辺りはバスがなくて買い物なども不便な所。もう田んぼには入れないが、畑で野菜を食べるだけは作っている。餌を求めてサルやハクビシンが来ることもある」そうだ。体の方は「目は両方手術し、耳はいいが、腰が悪くて歩くのに真っすぐ立っていられない」という。7月で87歳になられたが、規則正しい生活を続けられて、お元気な様子で安心した。

 ホワイトナルビーを稲葉牧場に預けたことから始まった華麗なるオグリ一族のサクセスストーリー。育て上げたキャップとローマンの2頭が中央のGⅠ馬になっており、鷲見さんの手腕は高く評価されるべきである。有馬記念でラストランを制覇し、湧き起こった感動のオグリコールは、日本の競馬史上最高の名場面である。鷲見さんの鋭い相馬眼と強い馬づくり、勝利への情熱がオグリキャップというドラマチックなミラクルホースを誕生させた。笠松競馬には名馬を生む土壌があり、現役の騎手、厩務員、調教師たちは、鷲見さんのように大きな野望を持って馬づくりに励んでいきたい。

 これまでも、キャップの初代調教師ということで全国からテレビや新聞の取材があったという。記憶力も十分でお元気なので「オグリキャップの語り部」として講演ができそうなご様子。後継者では「鈴木正也が1番弟子で、現在も金沢競馬で調教師を務めている。冬場などに笠松のレースに馬を持ってきていたし、元気にやっている」。ケージーキンカメやスーパーバンタムを育てた1000勝超えの名トレーナーで、昨年の笠松・サマーカップをファストフラッシュ(青柳正義騎手)で制覇した。鷲見先生も調教師として1000勝以上していらっしゃる(1076勝)が、お弟子さんが勝利数で先生に追い付く日も近い。

ご当地グルメの明宝ハムと「めいほう鶏ちゃん」

 ■「キャップ役の女の子が」とウマ娘にも興味

 先生はアニメの「ウマ娘」にも興味があるそうで「キャップ役の女の子が走ってきて、最後の直線になって『あれにはかなわない』などとテレビでやっていた。GⅠレースがある日には、人気があった馬の走るシーンを見せるが、あれにもキャップが出てくる。古いけどまだ登場するから」とうれしそうだ。JRAの「未来に語り継ぎたい名馬」(2015年)ではキャップが3位にランクインし、幅広い世代から根強い支持を集めた。

 鷲見さんは「草競馬から上がった馬で、中央の馬を倒して余計に人気を集めた。この世代の馬では1番だった」と育てた愛馬の成長を頼もしく見守ってきた。もしディープインパクトなどと一緒に走ったらどうだったか。「ひょっとしてキャップが勝負根性を発揮して勝ったんやないか」という声もあるほどである。

 「最後のオグリキャップ語り部」といえる鷲見さんから貴重な話を聞くことができた。奥さんと娘さんが買い物から戻られたので、ご夫婦の出会いを聞いてみると「いとこ同士での結婚」だったそうで、奥さんも笠松の厩舎でいろいろとサポートされた。

 山里の美しい風景に囲まれた鷲見さん宅。帰り道には近くの売店や「道の駅明宝」に立ち寄って、お土産に明宝ハムや「めいほう鶏ちゃん」といったご当地グルメを買い求めた。笠松競馬では毎年1月に「明宝ハム杯」も開かれている。  
 

中日スポーツ杯をオグリキャップで勝ち、表彰を受ける(左から)安藤勝己騎手、小栗孝一オーナー、鷲見昌勇調教師

 ■「オグリキャップ伝説」永遠に語り継いでいきたい

 経営難や不祥事で濁流に沈みかけたこともあった笠松競馬だが「中央の馬にも負けない馬をつくるんだ」という夢に向かって、鷲見さんの時代の「笠松魂」は脈々と受け継がれてきた。ラブミーチャン以降は全国区での活躍馬を出せていないが、現在または次世代のホースマンたちが、笠松発のスターホースを再び育て上げる可能性を秘めている。

 オグリキャップを誕生させて育て上げ、日本競馬史上最大のヒーローへと導いた名トレーナー鷲見さんと小栗オーナー。ともに郡上市出身で最高のコンビだった。アンカツさんという名手の手綱で中央へと橋渡し。宣言通り、オグリローマンで桜花賞を制覇し、小栗オーナーを中央の表彰台にも乗せてあげた鷲見さん。今回、真夏の郡上編として特集した「オグリキャップ元調教師の鷲見昌勇さんに聞く」。抜群のストーリー性で、伝説となったあのオグリコールの響きとともにファンを勇気づけ、熱狂させたオグリキャップの力強い走りを永遠に語り継いでいきたい。


 ※「オグリの里 聖地編」好評発売中、ふるさと納税・返礼品に

 「オグリの里 笠松競馬場から愛を込めて 1 聖地編」が好評発売中。ウマ娘シンデレラグレイ賞でのファンの熱狂ぶりやオグリキャップ、ラブミーチャンが生まれた牧場も登場。笠松競馬の光と影にスポットを当て、オグリキャップがデビューした聖地の歴史と魅了が詰まった1冊。林秀行著、A5判カラー、200ページ、1300円。岐阜新聞社発行。岐阜新聞情報センター出版室をはじめ岐阜市などの書店、笠松競馬場内・丸金食堂、名鉄笠松駅構内・ふらっと笠松、ホース・ファクトリーやアマゾンなどネットショップで発売。岐阜県笠松町のふるさと納税・返礼品にも加わった。