強くなるために、毎日自分のために紅茶を淹(い)れるようにしている、と言うと、「どういうこと?」と言われるかもしれない。

 いつからだろう、他人に癒やしを求めるようになっていた。受け入れてもらうこと、話を聞いてもらうこと、居場所になってもらうこと。疲れた体をいたわってもらいたい、頑張ったねって言ってもらいたい。そうしてしきりに癒しを他人に求めるのに、自分が誰かの癒やしになれる気はまるでしない。

 そして他人には癒やしを過剰に求めるのに、自分で自分を満たせていないことにも気づく。特別なケアが必要なわけではない。けれど、しっかりと髪に櫛(くし)を通すこと、靴ずれの絆創膏(ばんそうこう)を張り替えること、ファンデーションのパフをこまめに洗うこと、そんなことさえぞんざいにして自分で自分を弱らせているなら、他人に癒やしを求める前に自分で自分を癒やすことが必要なんじゃないか。そう思って、始めたのが紅茶の習慣だ。

(撮影・三品鐘)

 ティーバッグでしか紅茶を淹れたことのない身で、インターネット検索をし、紅茶の淹れ方をマスターする。最初ははっきり言って面倒だ。まずティーポットとティーカップをお湯で十分に温める。そのお湯を捨ててから、ひとりぶんの茶葉を小さじ1杯、ティーポットに熱湯を注ぎ、3分から4分、ティーコゼーをかぶせて蒸らす。温めたティーカップに紅茶をたっぷりと注いだら、ソーサーに置き、キッチンからリビングに運ぶ。テーブルの上は何もないまっさらな状態にしておき、ただ香りを口の中に転がすように味わう。そうするうち、浅くなっていた呼吸が深くできるようになる。呼吸に余裕ができると、自問自答していたことの答えがすっと頭に浮かんできたりする。午後のエネルギーが湧いてくる。

 紅茶の習慣をつけていくうち、徐々にいいサイクルができてくるから不思議だ。自分に手間をかけるのは、贅沢(ぜいたく)なんかじゃなく、自分を強く清らかに保つための鍛錬なのだろう。

 自分で自分を癒やせる時に、他人に癒やされたり、人を癒やしたりも容易になるのだろう。ひとまず、紅茶の美味(い)しい淹れ方はマスターした。これで目の前に弱った人があらわれたら、美味しいお茶を淹れることはできるのだ。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。

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