急転換して恐縮だが、先月この紙面に登場した恋人と去年11月末に別れた。そのここでは書けないエグい顛末(てんまつ)を同性の友人におずおずと打ち明けたところ、「それは一発退場」と評判は散々。

 誰かと付き合うということは、基本的に許し合い共存することではあると思うし、自分も甘えて許してもらっていた部分は大いにある。その我慢は彼の中にも大きく溜(た)まっていたのだろう。しかし別れ際には彼の激昂(げっこう)した高圧的な口調によって随分心をすり減らされ、なんとか共存しようと思えば思うほど、本当は今まで言いたくても我慢してきたことからまったく乖離(かいり)した謝罪や「あなたは悪くない、わたしの問題だ」という共存のための間違った保身の言葉が自然に口から溢(あふ)れ、それをさらに強く畳み掛けられると、反射的に口をついて出た謝罪とともに息苦しさで涙は溢れ、無理は限界に達した。そうして二人で話しているうちに朝になり、彼が帰るとなぜかほっとして、自分が今まで大事に温めて守ってきた自尊心を削ってまで、こうして付き合うって本当にいいことだろうか、とふと冷静になり、答えは案外するりと出た。

(撮影・三品鐘)

 別れ話を交わしたその夜にはトークイベント。なんとか気を張り詰めて臨み、打ち上げでぽろりと内情を漏らしたところ、その場にいた全員がはげましてくれた。どの人も10、20代からの私の歩みを見てきた人たち。そしてここ数年は離婚の危機も乗り越え、私が常識に縛られず自分の幸せに向かって進もうとしていたのを見てくれていた人たち。その彼らの何気なさを装った温かい言葉や振る舞いを目に焼き付けて深夜電車に乗ると、朝とは全く違った涙が溢れた。

 私生活がめちゃくちゃだからこそ、誇れる仕事とその仲間があってよかった。そう思うのは自分勝手だろうか。誰も愛してくれない体でも、自分のご飯は自分で炊けるということ。仕事先に「あなたに頼んでよかった」と言われること。「そんなことで潰(つぶ)れる野口あや子じゃないでしょ」と笑いながら言われること。仕事によって自分の人生を保てることが、こんなにありがたいと感じたことは今までなかった。思えば、ここ数年の仕事の手応えと自信を感じていたからこそ、別れ際でもどこかで冷静になれたのだろうと思う。

 仕事があってよかった。自分に自信が持てる自分でよかった。自分勝手かもしれないが、そう思いながら今日もパソコンに向かっている。


 岐阜市出身の歌人野口あや子さんによる、エッセー「身にあまるものたちへ」の連載。短歌の領域にとどまらず、音楽と融合した朗読ライブ、身体表現を試みた写真歌集の出版など多角的な活動に取り組む野口さんが、独自の感性で身辺をとらえて言葉を紡ぐ。写真家三品鐘さんの写真で、その作品世界を広げる。

 のぐち・あやこ 1987年、岐阜市生まれ。「幻桃」「未来」短歌会会員。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。08年、岐阜市芸術文化奨励賞。10年、第1歌集「くびすじの欠片」で第54回現代歌人協会賞。作歌のほか、音楽などの他ジャンルと朗読活動もする。名古屋市在住。