甲子園球場が開設されて100周年に当たるメモリアルイヤーの2024年。高校野球岐阜県代表が、春夏、聖地で刻んできた数々の名勝負を各年の主力選手のインタビューで振り返ってきた。総集編として、連載した38人それぞれにとって熱い思いがこもった「甲子園とは」を年代順に紹介する。

「青春そのもの。大好きな野球の夢」
【66年前の夏】甲子園で未勝利も40数年後に日本一 1958年春夏連続出場の多治見工・纐纈忍さん

「現実にするためには努力が欠かせない憧れ」
【ご成婚の裏で】〝短打主義〟や継投、65年前の革命 1959年選抜準優勝岐阜商・捕手国井恒男さん

「素晴らしい、甲子園はやはり甲子園。ものすごく人生プラスになっている」
【躍進】岐阜高がベスト8入り! 県内から2校同時出場だった 1962年選抜・岐阜 藤見幸彦さん

「強い思いで出場できる場所。高校野球は投手が99%といっても過言ではない」
【決勝主審】球児→社会人→審判へ 岐阜県で一番すごかった投手は・・・ 1964年選抜・岐阜東の川島稔さん

「人を育てる光り輝く希望の場所。グラウンドに立つことでの成長はもちろん、甲子園と聞くだけで、どんな苦しくつらいことにも耐えられ、成長させてくれる」
【大逆襲】春は地区予選敗退、夏は全国ベスト4 なにがあった? 1964年岐阜商・小川信幸さん(上)

「人的ネットワークも広がるまさに分水嶺、人生を大きく変える舞台、選抜甲子園100号のメモリアルアーチがきっかけでチャンスに強いバッターになった」
【通算100号】メモリアルアーチが野球人生変えた 1969年選抜県岐阜商・鍛治舎巧さん

「最初にグラウンドに立った時の感激が忘れられない」
【伝説】夏の湯口はすごい投手になった 1970年選抜ベスト8、選手権ベスト4 1970年岐阜短大付・小椋清俊さん

「監督のものでなく、選手のものである憧れの場所。その後の人生にどうやって生かせるかが大事」
【切り込み隊長】強打のチームを弾丸ライナーでけん引、一番打者は母校の監督に 1975年夏中京・小嶋雅人さん

「小さいころからの夢で、思った通りの素晴らしい場所。いい思い出になったし、いろいろな人とのつながりができたことは幸せ」
【ベスト8】2試合完封、優勝した箕島も苦しめた 1977年選抜・県岐阜商 関谷弘美さん 【甲子園100年ぎふ】

「県単位で出場し、多くの県民が応援する、まさにお祭りで国民的スポーツ、文化」
【名門】日本最古の野球部、岐阜高校 聖地で主将が見た景色とは 1978年選抜 大塚淳人さん

「青春の思い出。ふわふわして、夢の中にいるみたいで楽しかった」
【1年間試合禁止】野球ができることが、とにかくうれしかった 1978年夏県岐阜商・岡崎純一さん

「勝っても負けても一生の思い出に残る場所。目指して日々努力し、好きな野球に打ち込むことは、これから先の人生の糧になる」
【元プロ】巨人選手→小中学生指導、社会人監督→母校へ 経験が指導に生きている 1979年選抜・中京商の藤本貴久さん

「とても大きく、思い出に残っている。何より、出たことで野球の道が広がった」
【初出場】ベンチからの1歩目の感動、忘れられない 1980年選手権・美濃加茂 池戸潤さん

「当時はゴールだったが、本当は、次のステージに向かう最初のスタートで、すごく成長できる場所」
【聖地】当時はゴール・・・本当はスタート地点だった 1981年選手権・岐阜南の棚橋祐司さん

「人生を左右する指標。さまざまな時や場所によって違う目指し方、取り組みがあるが常に人生の目標」
宿題を果たすため高校野球の監督人生をかけた 1982年選手権・県岐阜商 工藤昌義さん

「小学校の頃から全てだった憧れの舞台」
【通算100勝目】守備に自信も、対戦相手たちがすごかった 1983年春夏連続出場の岐阜第一・白木孝明さん(上)

「小学生の時に初めて感じた憧れ、夢の舞台。フィールドの中はさらに鳥肌が立つようなしびれる何とも言えない場所。いい試合になればなるほど、お客さんが一投一打に反応して湧き上がり、それが屋根に響いたりと、ものすごい臨場感」
岐阜県が誇る名将誕生の原点は甲子園で敗れた一戦だった 1985年選手権・県岐阜商藤田明宏さん

「人生が変わる、いい意味でも悪い意味でも野球をやる人間の聖地。それを目指し、いろいろな経験をして一番の成長が得られる場所」
選手としては代打の1打席1球のみ 監督としては3度出場 1986年選手権・県岐阜商 秋田和哉さん

「自分の全て。次のステップにつながる人生の分岐点」
【エースで4番】ズバッとクロスファイヤー 6打席連続でヒット 1987年夏・県岐阜商 可児哲也さん

「夢舞台に違いないが、夢でなく、仲間とともに勝ち取る場所」
【雨が大敵】県内無敗も雨中の激戦は9回裏に悲劇が 1989年選抜・県岐阜商 小川信和さん

「仲間に恵まれたという一番の宝で勝ち取った場所」
【諦めない】甲子園で3試合連続サヨナラ試合 1992年選手権県岐阜商主将・横井泰昭さん

「いけると思ってなかったし、結果に過ぎない。でも野球を通して人間性はじめいろいろなことを学ばせてもらった」
【劇的】野球が楽しくて仕方なかった 1993年選手権・東濃実の小西智也さん

「チーム力とともに運も必要な場所だが、人とのつながりも広がった。野球の力はすごく、出会えたことは本当に幸せ」
【定時制】午前はバイト、午後から練習 野球は唯一のコミュニケーション手段だった 1994年選手権・大垣商 於保成明さん

「球児がひたむきにボールを追う姿に憧れたが、立てた目標以上の事ができた」
【1998年夏】痛む足引きずり激走、勝利の分かれ目に 岐阜三田・堀田裕紀さん

「憧れ、最高の場所。踏み入れた瞬間、指導者になる人生を決めてくれた場所」
3人プロ入り、1試合10本塁打、ダルビッシュにも勝った 「戦後最強」ドリームチームが人生を決めた 2003年選抜・中京 山下勝弘さん

「人生を変えた場所。甲子園のおかげで、進学し、プロにも入れ、長く野球人として歩んでこられた」
「勝ちたい。アドレナリン一気に出た」 2006年岐阜城北エース・尾藤竜一さん

「岐阜県で一番練習した成果を100%出す発表の場」
阪口監督は「勝とうと思うな」 2007年選抜準V・大垣日大捕手箕浦和也さん

「仲間の団結力を高めてくれ、一人一人の責任感が力になる夢。戦う原点」
【母校のために】学校存続問題の中、4度目聖地で学校初打点初勝利 2008年選手権・市岐阜商の吉村政俊さん

「小学校のころの夢が目標へと変わっていった人生の宝」
【ベスト4】PL、帝京撃破「全国制覇したかった」 2009年選手権県岐阜商主将・松田智宏さん

「憧れの場所だが、夏は出ていないので、半分は行っていない、片足しか突っ込んでいない気持ち。だが、今の人生があることに感謝」
【変則左腕】本人は「打線に助けられた・・・」 神宮制し、甲子園ベスト4 2010、11年選抜・大垣日大 葛西侑也さん(上)

「骨肉腫で野球を断念した小学校からのバッテリーとの約束を果たした場所」
【2010年夏】聖地で初勝利、「過程と仲間が大事」 土岐商・前田拓磨さん

「最後まで努力した人間だけがいける場所。報われない努力もあるなんてうそ、自分の努力が足らないだけ」
【初出場】「歴代最弱」と言われたチームはいかに強豪を打ち破ったのか 2011年選手権・関商工の佐藤辰海さん

「死に物狂いでやってきた好きな野球を、大勢の人に披露し、見てもらえる場所。甲子園に出たという事実より、努力してきたことが誇り」
けが抱えつつ、主将としてチームに走塁革命 「出たことより、努力に誇り」 2012年選手権・県岐阜商 大山紘平さん

「小さい頃から生活の全て、父親と一緒に土を踏むことが夢。それがかない人生を変えてもらった」
【岐阜県勢甲子園ベストゲーム】親子鷹で大阪桐蔭撃破 2013年選抜県岐阜商エース・藤田凌司さん

「大垣日大のグラウンドでの日々のご褒美」
【大逆転】8点差ひっくり返した奇跡の試合は奇跡ではなかった 2014年選手権大垣日大・種田真大さん

「人生で一番楽しい時間で、高校生が一番輝ける場所」
甲子園での打率は驚異の7割超え 人生で一番楽しい時間だった 2016年選手権・中京 渡辺豪さん

「野球をやっている以上、自分のステータスになる。あの場所での経験が全ての土台」
中京と2強時代、学校史上最高の厳しさで鍛えられた 2017、18年選手権・大垣日大 修行恵大さん&内藤圭史さん

「プロ以外で人生で一番注目される大舞台。負けて学ぶことも多いし、いい意味で自分をしっかり変えてくれる場所」
「憧れの先輩」「頼れる後輩」コンビで継投 今は西濃運輸で活躍 2017、18年選手権・大垣日大 修行恵大さん&内藤圭史さん